「浄化の力、ですか?」
「そう。聖女であるめぐみには、回復魔法の他に、浄化の力があるんだ」

 セレイツにお茶会をしようと誘われためぐみは、薔薇の咲き誇る庭園で話をしていた。
 のんびり雑談……という訳ではなく、それは目的があるものだった。無理矢理召喚されたとはいえ、お城でお世話になっているめぐみだ。力になれるのであればと、すぐに了承する。

 その内容というのが、浄化の魔法だ。
 セレイツ曰く、これは聖女が使える魔法である。魔物の瘴気が濃くなってしまった場所を、正常な空気に戻すことが出来るという。
 自分にそんなすごい力があるのかと、めぐみはぱちぱちと目を瞬かせる。

「私の都合上、今日の夕方でないと無理なんだ。大丈夫?」
「はい。私はいつでも良いですよ」
「ありがとう。めぐみは本当に優しいね、さすが聖女だ……」

 優しく微笑むセレイツにどきりとして、めぐみは慌てて首を振る。
 王子である彼は、執務でとても忙しい。魔王を倒す旅に出る準備もあり、今はいつも以上に忙しいと言う。
 こうして2人でお茶をするもの、本来であればとても難しい。セレイツが自分の休憩時間に合わせて会っているので問題ないのだが、めぐみは体を壊さないか心配でならなかった。

「……殿下、お時間です」
「ああ。行こうか。――めぐみ、あまり時間をつくれずにすまないね。また、夕方に」
「いいえ、私のことは気にしないでください」
「ありがとう」

 優しく微笑み、セレイツはめぐみの頭を撫でる。「後でね」と小さく告げて、セレイツは側近とともに執務室へ戻って行った。

「……王子様って、大変ですね」
「ええ。セレイツ殿下は、とても優秀でいらっしゃいますから」

 めぐみが侍女であるリリナにそう言えば、頷きが返ってくる。
 スコーンを口に含み、ご飯もちゃんと食べていればいいのになと――そう思う。



 ◇ ◇ ◇

「やばい。これじゃぁお化け屋敷だよ……!!」
『おばけやしきぃ? 子供でもあるまいし、馬鹿みたいなこと言うなよな』

 ぎゅっとうさちゃん人形であるメデュノアを抱きしめて、めぐみはぷるぷると体を震わせる。
 小声でメデュノアに伝えれば、笑われてしまった。

 昼間、セレイツが告げた浄化の作業。

 その実行すべき現地は、まさにお化け屋敷だった――。
 城から馬車で30分ほど進んだ場所にあった、屋敷が対象。そこは誰も住んでいない屋敷で、瘴気がたまってしまったという。
 ぴりりと肌に痛い空気を感じ、霊感も何もないめぐみですら、良くない場所だということはすぐに感じ取ることが出来た。

「めぐみ、おいで」
「あ、はい……っ」

 屋敷の前に居るセレイツに呼ばれ、緊張しながらもめぐみは返事をする。メデュノアには人形の振りをしてもらい、一緒についてきてもらったのだ。
 ぎぃ……と、音を立ててセレイツが屋敷の扉を開く。お化けが出てくるのではとどきどきしつつ、めぐみも勇気を出してセレイツの後に続く。
 護衛の騎士もついてきてはいるが、屋敷の中には入らず外で待機というかたちをとる。聖女の力を、そう簡単に騎士に見せることはしない。

「ああ――もしかして、怖い?」
「い、いえっ! そんな、怖くなんてないですよ」
「そう?」

 ――嘘ですごめんなさいとっても怖いです。
 日が沈みきっているわけではないので、そこまで室内が暗いというわけではない。けれど、オレンジ色の夕日が差し込んでいて、綺麗だけれども逆に怖いと感じてしまうのだ。
 セレイツにはお見通しだったようで、くすくすと笑いながらめぐみの肩を自分の方に抱き寄せる。

「こうしていれば、怖くても平気でしょう?」
「え、あ、ええぇっ!?」

 突然の行動に、めぐみは思わず声を上げる。驚いてメデュノアを強く抱きしめすぎて、小さく『ぐぇ』と声がした。
 けれどそれを気にしている余裕もなかった。綺麗な顔の、素敵な王子様がエスコートをしてくれているのだ。緊張と恥ずかしさがとてつもなくめぐみを焦らせる。

『俺はお邪魔虫か? ……ったく』

 誰にも聞こえないように、本当に小さくメデュノアはため息をつく。
 まるで恋する乙女のようなめぐみに、やれやれと思う。聖女が応じにたらしこまれてどうするんだと、若干呆れも含まれる。

「あまり時間を取れなくてごめんね? 本当は、もっとめぐみと一緒に居れたらいいんだけど」
「いえ。セレイツさんは、とても忙しいですから。……あまり、無理をして体を壊さないでくださいね」
「ああ、気をつける。ありがとう、心配してくれて」

 ゆっくりと歩きながら、「嬉しい」とセレイツは微笑む。
 そしてその視線は、めぐみが持っているうさちゃん人形のメデュノアへ注がれた。

「お気に入りの人形、だったね」
「はい。……持ってきたら駄目でしたか?」
「そんなことはない。めぐみは可愛いから、人形がとても似合うね」
「!」

 さらりと褒めるセレイツは、やはり王子だけあり自然だ。めぐみは慣れていないので、毎度顔を赤く染めているというのに。
 これから一緒に旅をするのに――体が持つか心配にすらなってくる。

 階段を上り、曲がり角を曲がったところで「ここの部屋だ」とセレイツが足を止めた。
 何もない、普通の扉。その前に立ち止まり、しかし確かに空気が重いなとめぐみは感じることが出来た。

「ここで浄化をしよう。めぐみは膝をつき、浄化と祈ればそれで効果が現れるよ」
「え、そんなことでいいんですか……?」

 何か儀式的なことがあるのではないだろうかと思っていためぐみは、あまりにもあっさりとした浄化手順に驚いてしまう。
 確かに、細かいことを言われるよりは全然いいのだけれども……。

「本来であれば、補助の魔導具が必要だったりはするね。けれど、聖女であるめぐみの力は絶大だから、それすら必要ない」
「…………」

 相変わらずの過大評価だなと、めぐみの背中に冷や汗が伝う。
 不安になりセレイツへ視線を投げるが、「めぐみなら大丈夫だよ」とさらりと躱される。セレイツはめぐみの力を信じて疑わないため、めぐみの不安を気にしたりはしない。
 ゆっくりと部屋へ続く扉にてをかける。綺麗に装飾されたドアノブは、さぞ高貴な人が住んでいたのだろうということを伺わせた。

「特に魔物がいるとか、そういったことはないから身構える必要はないよ」
「は、はい……っ」

 ――でもお化けがいたとしても不思議じゃないから!
 心の中では盛大に叫び、けれどセレイツがあっさり扉を開いてしまったので覚悟を決めるしかないのだ。きぃ……という音とともに扉が開き、広い部屋が姿を現した。

 幸いなことに、めぐみが気構えていたお化けの存在はなかった。
 質の良い家具が置かれた、普通の部屋だ。それを見てすぐにほっとしたのは、もちろんめぐみだ。
 セレイツが部屋の中央へといき、腰に下げていた剣を抜き床へと突き刺した。すると、すぐに周りに黒い靄が現れその剣を攻撃しようと動き出す。

「ひぃっ! な、なにあれっ」
『あれは瘴気の魔物だろ。雑魚だから大丈夫だ』
「……っ」

 めぐみが小声でメデュノアに問いかければ、『問題はないだろう』と楽観的な声が返ってきた。

『勇者――か。お手並み、拝見だな』
「え? 何か言った?」
『いいや、何も』

 にやりと笑いながら、メデュノアは部屋の中央に1人立ちセレイツを見た。この程度の瘴気であれば、めぐみがいなくとも処理出来るだろうに。
 おそらく、めぐみの魔法を練習させるのにちょうど良いと考えたのだろう。

「これは私の聖剣。瘴気を切ることも出来るけれど、今日はめぐみの魔法をサポートするから。――おいで」
「あ、はい……」

 有無を言わさないセレイツの声に、めぐみは頷くしか出来ない。メデュノアを部屋の隅に一度置いて、急ぎ足でセレイツの下へ向かう。
 どきどきと早鐘のような心臓を落ち着かせようとするけれど、セレイツの近くに行けば速度が増すばかりだ。
 不思議と、瘴気の魔物は恐くなかった。聖剣が近くにあるおかげだろうか。それとも、セレイツが守ってくれると確信しているだろうか。
 けれど一番の要因は、一緒にきてくれたメデュノアの存在かもしれない。

「じゃぁ、ここに膝をついて祈ってみて? そして浄化と口にすれば良い」
「…………」

 めぐみはゆっくりと目を閉じて、手を組む。セレイツに言われたように祈り、この屋敷からお化けがいなくなりますようにと心の中で必死に願う。
 そしてセレイツに教えられたように、言葉を紡ぐ。

「――《浄化》」

 瞬間、ぱぁっと辺りが柔らかい光に包まれる。きらきらと光が降り注ぎ、それはまさにこの世の奇跡ではないのかと、そう思えるほどだった。

 ――成功した? すごい、綺麗。
 自分にこんなことが出来るなんて。そう思うと、めぐみは声も出ない。瘴気の魔物は消え去り、屋敷からもお化け屋敷のような嫌な空気は消えていた。

「うん。良く出来たね、めぐみ」
「はい……」

 褒めるようにセレイツがめぐみの頭を撫でて、甘やかす。まるでご褒美のように行われるそれに、めぐみは恥ずかしくなり急いでメデュノアのところまで逃げる。
 このままじゃ、恥ずかしくて溶けてしまいそうだ。うさちゃん人形であるメデュノアを抱きしめつつ、めぐみはそう思った。