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「あれ?逢坂さん、今日はお弁当じゃないんだね。」


ーー翌日。

オフィスでサンドイッチをかじっていた私に、上司がふと声をかけた。


「あ…、はい。今日、ちょっと寝坊しちゃって。」

「あはは、わかるわかる。休み明けの月曜だし、眠いよね。」


(言えない。…クルージングから帰ってきたのが深夜な上に、目を閉じても榛名さんの顔がぐるぐるして一睡もできなかっただなんて。)


日笠さんに連れられて家まで送り届けられた私。昨夜のことは、今でも夢のように思える。


“ーー悪い”


最後に告げられた言葉は、謝罪だった。本当にキスされるかと思った。だが、驚いているのはそこではない。

“榛名さんのキスを拒まなかった自分”が、一番おかしい。

榛名さんは、怒っていた。

知らないうちにお酒を飲んで、無防備にその日初めて会った男の人の前で寝てしまった。挙げ句の果てに船室に寝かされて、抱き上げられたことさえ気付かなかった。

危機感がなさすぎる、と叱られるのは当然だ。


ーーだが、榛名さんもいつもとどこか違ったような気がする。

タバコの香りが移ったドレスを妙に気にしていたし、私が“ソウさん”の名前を口にした途端、機嫌が悪くなった。

まさか、“嫉妬”…?

そこまで考えて、その後は思考を止めた。

自分の都合の良いように想像するのは簡単だ。第一、榛名さんは私のことを気に入っている口ぶりをよくするが、私のことで余裕をなくしてヤキモチを焼くとは考えられない。

首元の熱とともに蘇る記憶。

ーーあの、口付けの前の甘く獰猛な表情。きっと、あれは彼女にしか見せない“特別な顔”だ。

私を抱きしめる腕も、強引なようで優しかった。

ずるい。あんな風に迫られたら、拒めるはずがないのに。