僕が病室のドアを開けると、そこにケニー先生が座っていた。

「担当を変えてくれるんじゃなかったんですか?」



目を合わせることなく僕が言うと、ケニー先生はいつも通りの飄々とした口調で答える。

「いやー、最後にもう一度だけ君の顔を見ておきたくてね。それに例の約束があったし」

「約束?」

「君がこの一週間何も『救い』を得ることが出来なかったら、私を殺してもいいという約束だよ。君も私がいることを分かってここに来たんだろう?」



僕の思考を何もかも見透かしてケニー先生は言った。

どうやら予想通り、彼なりにちゃんと律義に僕を待っていたらしい。

「ご名答ですよ。今日も貴方はここで待っていると思っていました。そして貴方を殺してやりたいという気持ちもまだ、いえ一生変わることはありません」

「おーそれは怖い怖い。またここで『彼』でも呼び出すつもりかい?」



ちっとも怖くなさそうな口調でケニー先生が言った。

「でも淑女の前で『彼』を呼び出すのはいささか品に欠けるんじゃないかな? 乱暴だからレディーファーストの心得とかも無さそうだし」



その言葉を受けて――僕の後ろに隠れていた冬峰さんが、杖を鳴らしながら前に進み出た。

「冬峰さん、久しぶり。この一週間は実りある時間を過ごせたかな?」

「こんばんはケニー先生。私の診療時間でもないのに同行したことをお詫びします」

「一人も二人も変わらないさ。特にそれがどちらも僕の作品ともなれば猶更ね」

「……ッ!」



僕は思わず拳を握ったが、冬峰さんはすぐにそれを片手で制した。

目が見えない分、人の気配や感情の機微には敏感なようだ。

「私も雨宮君と同様、先生のことは一生許す気はありません。しかし、見えない力によって何故か先生の横暴が許されてしまっている以上私たちは先生を罰する術はありません」

「そんなことはないさ。そこの雨宮君にお願いして『彼』を呼び出せばいい。喜んで私を地獄に送ってくれるさ」



ケニー先生の表情は、まるで本気でそれを望んでいるかのように恍惚に満ちていた。自分の作品に殺されるのなら本望、ということなのだろうか。

だが彼女は静かに首を振った。

「そんなことはしませんし、今の雨宮君にそれは出来ません」

「……ん? 出来ない? 出来ないとはどういうことかい?」



ケニー先生の問いかけに、今度は僕が毅然と答えた。

「それは僕が生きる理由を見つけ出したからです」

「なるほど、やはりちゃんと『救い』を得たんだね。まあ当然だな、私がユートピアートを用意し、二人を引き合わせ、ここまでお膳立てしたのだから!」



ケニー先生は立ち上がり、傲岸不遜な口調で語る。あくまで僕たちを作品と見なし、支配しているつもりなのだろう。

「しかし……すると矛盾が生じるね。雨宮君が生きる希望を見出しのならなぜ『彼』は出てこない? 雨宮君に死ぬ理由がなくなったのなら、『彼』は君を乗っ取るだろうとばかり思っていたのだが」

「とぼけないで下さい。こうなることは分かっていたはずです」



僕はスマホを取り出して、ユートピアートの画面をケニー先生に突き付けた。

「僕が生きる理由――それは、このユートピアートを使って自分の使命を果たすことです。それは粗暴なもう一人の人格ではなく僕にしかできない。だから『彼』は僕を乗っ取りたくても出来ないんですよ」

「なるほど……それでその『使命』とは? 具体的には何をする気だい?」



「僕は小説家になる」