〝始めに懺悔をしようと思う〟

 古文書の一文はそう始まっていた。
 テコヤと呼ばれる学び舎は、様々な年齢の者が集まり、学問を学び合う場であった。なかでも日輪(ひわ)国にあるテコヤは世界最大で、各国から選りすぐりの学生が集まる。そこで考古学を教えているハナシュ教授は、発見されたばかりの貴重な巻物を読み出したところだった。

 大きな木の柱が部屋の四隅に立つ広い教授部屋には、辞書や書物で埋め尽くされた机が並んでいる。本棚には巻物が所狭しと詰め込まれていた。

 日輪国に製本技術はなく、巻物を使うのが一般的だった。製本技術はアルヒーナ王国で研究されているが、まだ実用には程遠い。

 傍らにいた助教授は、古代文字の辞書である巻物を、散乱している机から引っ張り出してきた。

「ありがとう」

 ハナシュ教授が礼を言うと、助教授は巻物を覗き見た。

「アルヒーナ王国で、先月発掘した物ですな?」
「ああ」

 白髪が混じった顎鬚を梳きながら、ハナシュ教授は頷く。
 教授が巻物に集中しようとした時、「失礼します」と、若々しい声がして、引き戸が開かれた。

 部屋へ入ってきたのは、薄青い目をした青年だった。黒髪の少し長い前髪が瞳にかかって、彼は髪を指で払う。

「僕も拝見してもよろしいでしょうか?」
「君は確か、若葉くんだね。そうか、君は発掘にも携わっていたね。良かろう。こちらに来なさい」

 ハナシュ教授は若葉を手招く。彼は嬉しそうに頬を綻ばせると、駆け足で向った。教授は、はたと振り仰いだ。

「そうだ。彼は一緒じゃないのかな?」
「彼っていうと……焔(エン)ですか?」

 あたりをつけたように訊き返した若葉に、教授はうんと頷いた。

「彼とは幼馴染だそうじゃないか」
「そうですが。それが何か?」

 怪訝に首を傾げた若葉に、ハナシュ教授は好奇の目を向ける。

「彼は君と同じ、日輪国生まれであるのに肌の色が違うと訊いてね。訊けば、ご両親もここの生まれだそうじゃないか。そういえば焔というのもこの国の名字ではないね?」
「ああ」

 若葉は納得がいった様子で相槌を打つ。この手の質問には慣れていた。

「彼の先祖にそういう肌の人がいたらしいです。何世代前なのかは判らないみたいですけど。名字もきっとそのときのものでしょう」
「隔世遺伝というやつだね」

 興味津々といった風にハナシュ教授の瞳は輝いた。
 若葉は彼に代わってこの質問を受けることが多かった。

 彼には生まれたばかりの弟がいるが、弟の肌は若葉と変わりがない。彼だけが違う肌の色をしていたから、おそらく隔世遺伝で間違いはないだろうと、ぼんやりと若葉は思った。

 焔本人は、奇異の目にさらされても微塵も気にしない性格の持ち主だったが、若葉は反対に好奇の目に嫌気が差していた。

 だが、教授に悪気はないのは窺えたし、他の者と違って嫌な感じも受けなかった。好奇心の種類が違うからだろう。
 もう少し会話を広げても良かったが、若葉は早々にこの話題を切り上げることにした。

「ところで、今は何巻目をお読みですか?」

 尋ねながら、物で埋まる机がずらりと並ぶ中で、一つだけすっきりとした机に目を向ける。その机には巻物が十四巻、丁寧に並べられていた。

「最後の物だよ」
「もう最後までルクゥ文字を解読なされたのですね」

 驚嘆した若葉に、教授はにこりと笑みかけた。

「ルクゥの基本文字さえ知っていればそれほど難しくはないさ」

 ハナシュ教授は言って、巻物に視線を落とした。

「これまで読んだ十四巻には、題扉に人名が記されていて、そこに書かれた人物の一生が綴られていたんだ。ほら、例えばこれなんかは、ヒナタ・シャメルダ・ゴートアールと書かれておる」

 教授は手を伸ばし、一つの巻物を取ると軽く横に振って見せた。それを丁寧に机に戻すと、若葉を見据える。

「おそらく、誰かがその人物を取材して書いたものだろうな。しかしな、これだけには題扉に人名が記されていないんだ」
「じゃあ、誰なのか分からないんですか?」
「ああ。しかし、読めば解るかも知れない」

 そう言って、ハナシュ教授は巻物を読み進めた。若葉も覗き込んだ体勢のまま、じっと巻物を読み始める。その横に助教授がちゃっかりと椅子を持って来て横目で目視した。
 巻物には、こう綴られていた。

 * * *

 始めに懺悔をしようと思う。

 これが物語ならば、お姫様は蘇り、愛する王子と結ばれる。王国も世界も平和になって、末永く幸せに暮らすだろう。でも、現実はそうはいかない。

 僕はあの場で、僕らの死を選んだのだと思う。

 あそこであのまま全員死んでしまったら、生きた証を捻じ曲げられたまま、後世に語られることになる。そんなことは、間違っている。

 彼らは僕を裏切り者だとそしりたかったかも知れない。でも、一言たりともそんなことは言わなかった。今となっては言い訳でしかないけれど、本当に、心苦しかった。

 僕は今や、誰の目から見ても裏切り者に映っているだろう。だけど、僕はそれでかまわない。むしろそれが良い。

 心残りは彼女のことだ。

 彼女は生き延び、本懐を遂げることが出来ただろうか? 今の僕には知る術もないけれど、きっと無事でいると願っている。

 だけど、暮れ行く命の中で、僕の胸を埋め尽くすのは、変わらず君だ。
 君への贖罪は、少しでも晴らせたのだろうか? 後悔は胸の奥に潜み、やがては痛みも消えるけれど、いつまで経っても心の隅に住み続ける。
 
 彼のものと共に眠る愛しい君に、いつの日かもう一度逢えると信じて、僕はここに包み隠さず真実を書こう。
 
 君に出逢う前、愛しい彼らと出逢った日――十八歳だった僕は、王宮の廊下を駆けていた。