教室に入ろうとすると、「平良」という名前が私の耳に飛び込んできた。
ドアを開けると、教室の後ろの方で野球部たちが集まって大声で話している。
私の姿に気付いて、少し焦ったように声が小さくなった。

私は何も気にしてないように席に座る。
野球部たちも、声は少し小さくなったものの話し続ける。

「でもさすがに明日もだったら肩限界だろ。」
「でも平良じゃなかったら、3年で誰出すんだって話になるんだよな。」
「監督も平良に頼り過ぎなんだよ。」
「どうせ負けるなら3年全員出した方が良くね?」

どうやら昨日9回投げたばかりの平良が明日も先発で出るらしい。
明日は優勝候補の一つの強豪校と当たる。
私もさすがに明日で負けるだろうとはなんとなく思っていた。

なるべく背後の会話を気にしないように、カバンからペンケースを出す。
そこに彩乃と弥恵が来た。

「平良、肩大丈夫そう?」

二人も平良の様子が心配らしい。

私はというと、正直昨日の夜のことで頭がいっぱいになっていた。

私、なんで平良を好きなんだろう。
あんなひねくれた男。

「知らなーい。」

私の口から気の抜けた声が漏れる。

「知らないって、昨日会ってないの?」
「会ったけど、肩のことなんて全然聞いてないし。」
「ふーん。」

なんとなく野球部たちも私の会話に聞き耳を立てているような気がする。

それにしても、「俺に何かしてほしいってこと?」はないよなあ。
と昨日の夜から何度も思っていた。

だいたい「彼女になって」って言ってきたのは向こうなのに、なんで私が期待するのはダメなんだろう。
やっぱり、なんで私と付き合ってるんだろう、というところに行き着く。

知らず知らずにため息が漏れていたようだ。

「沙和、なんかあった?」

弥恵はいつも鋭い。

でも普通に付き合っている前提で、この状況はおかしい。
他から見たら、お互いに好き合って付き合い始めてるんだから。

「私、彼女っぽいこと何一つしてないんだよね。」

私の口から言えるのはそれだけだった。

「でも付き合ってまだ3週間くらいでしょ。・・・そろそろじゃない?」

彩乃の言葉。

「ん?」
「チューとかまだってことでしょ?」
「チュウ?」
「そういうことじゃないの?」

え?私、そういうことなの?
そういうことなの?

思考がパニックに陥る。

私はただ、恋人っぽく連絡を取ったり、デートしたり、そういう漠然としたイメージで言っただけで、行為とかそういうつもりで言っていたわけではない。
ないはず。

「え、もうしたの!?」
「したの!?」

教室中に彩乃と弥恵の声が響き渡る。

「声大きいよ!」
「あ、ごめん。」

二人の声が一気に小声になった。

「ごめん、何でもない。さっきのことはなかったことにして。何でもない。」
「ええー、気になるー。」
「したのしたの?」
「してないよ!」
「なーんだー。じゃ、そろそろだね。」

私が否定したタイミングで、ちょうど良くチャイムが鳴った。
彩乃と弥恵は自分の席に戻っていった。

私と平良がキスするなんて、これから先あるんだろうか。
このままずっと誤魔化し続けることになるのかな。