子供会の行事の一つに火の用心があった。六年生のリーダーに付いて回り、「火の用~心カチカチ」を連呼する例のやつである。
 恒例の行事なので強制的に毎年参加する。強制的と言っても、歴代の上級生がみんなやってきたことなので子供としては当たり前の作業である。どちらかと言えば、殆ど楽しみながらやっている。

 夜は暗い。街中から少し離れた住宅地ともなると街灯と街灯の間が遠く、子供の感覚からすればこの暗さが絶妙に怖すぎるのだ。前後を上級生が歩き、この間に挟まれて歩く下級生の中には半べそになる子が必ず出てくる。だが、今年は違う。凄く天気が良くて晴れ渡っているのか、月の明かりで暗闇など一つも無いのだ。夕方でも無い、勿論昼間でも無い、そんな不思議な明るさが辺りを照らしている。空を見上げると満月が大きくて透き通るように白い。そして何より、月がかなり近いのだ。杵を付くウサギだってはっきりと見て取れる。クレーターなんてあちらこちらに沢山散らばっている。この近さだったら誰でも簡単に月に行けやしないかと、そう思わせてしまうくらい目の前に見えるのだ。
 拍子木の音と甲高い声がまた響き渡る。時折頬を撫でるように通り過ぎる夜風が心地良かった。

 
 それから月日が流れ、いつしか僕は大人になり社会人となった。

 就職でこの地を離れ、まる四年が過ぎた。会社の仲の良い同僚の強い誘いに根負けし、生まれ育ったこの地に戻って来てはみたものの、実家は既に引っ越しているので足を休める家も無い。
 白い軽自動車を適当な所に止めると、同僚は興奮気味に「さあ、行こう」と僕を急き立てた。実際、余り気乗りしなかった事だし、今ではつきあいも全く無い子供の頃の友達と道端でバッタリと会うなんて、そんな不格好な羽目だけにはならないように祈った。まあ、時間も時間だし、そんな心配は不要だろうが。僕はそんなことを思いながらなるだけ音がしないようにゆっくりと助手席のドアを閉めた。

 同僚は心霊スポットマニアである。最初に聞いたときは流石に引いたが、心霊話以外の彼は他人に害を与えるような感じなど微塵も無く、至って穏やかな青年という印象なのである。
 そんな彼が心霊スポットの話になると絶対に引かない。この時だけは僕に害を与えてくるのだが、唯一の友達なので出来るだけ穏便に事を済ませようと、心霊スポット巡りについては嫌々ながらも付き合いをさせて貰っているという関係なのだ。
 僕はドアを閉めると溜め息を一つついた。

 彼が言う心霊スポットは、長い間空き家になっている建物である。所謂、廃墟である。
 何処で調べたかは知らないが、一週間ほど前にその建物の画像を見せようとしてきた。僕は遠慮がちに見るのを断ったが、見る必要も感じなかったからというのが本音である。
 彼は事前にインターネットで入手した地図をもとに先に歩き出した。すぐに一度だけ振り返り、僕が付いてきているのを確認すると、安心したかのような面持ちでニヤリと微かに笑った。僕は気色悪いと思った。

 車から降りて少し歩くと小さな三差路がある。そこを右折して100メートルくらい行くと道路沿いに目当ての廃墟が現れる。
 同僚は立ち止まった。そして僕の肩をポンと一度叩くと意味ありげに頷いた。どうやら、そこの敷地に入ろうと思ってるらしい。幸いにかどうかは分からないが、お隣との距離は有に40メートル以上は離れている。こんな深夜に物音を立てずに忍び込めば人に見られることは無いだろう。だけど、これって不法侵入という犯罪なのだ。勿論そのことを同僚に注意したが、聞く耳など持ちあわせているはずもなく、折角ここまで来て何をビビっているのかと逆に揶揄される始末である。

 廃墟は神社である。僕が小学生の頃は地区の夏祭りの会場となっていたので頻繁に足を運んでいた懐かしい場所である。だけど、建物に上がった記憶だけは無かった。大人が立ち入りしていたのは見ていたが、小学生は境内で遊ぶだけで事足りていたからである。

 そんな神社が心霊スポットになった理由を誘われた時に同僚に聞いてみた。同僚曰く、ある日、厄払いに来た夫婦がいて、原因不明の病気は厄払いをしなくては治らないと知り合いの占い師に言われたとのこと。そこで、ここの神主にお願いしてみたが、病気は一向に治る気配すら見せず逆に一気に悪くなって亡くなってしまったとのこと。夫を亡くした妻は半狂乱になり、そして自分で命を絶った。神主のやり方が悪かったのだと死ぬ前に占い師に言われた妻は、その後幽霊となってこの神社に出るようになり、そして取り憑かれた神主も亡くなってしまった。その幽霊はそれでも成仏しきれずに神社に住み着いてしまったので、ついには神社も閉鎖してしまった。こんな説明を淡々と受けた。僕は、笑いを必死に堪えた。だって、僕が知っている頃の神主さんは当時も既にヨボヨボで、夏祭りの時も杖をついて立っているだけで満足に歩き回ることも出来ないような人だったからである。その後、確か僕が中学三年だったと思うが、老衰か何かの高齢の方の病で亡くなったと聞いた記憶がある。
 
 僕がこの土地の出身だと同僚は知らない。心霊スポット巡りをするときに、ここはお前の出身地かと友達に聞く奴も余り居ないだろうから。

 門の前で空を見上げた。今夜は半月。あの時みたいな月明かりではないが、夜風は今も心地良かった。
 同僚が真剣な顔をして手招きしている。
 僕は大きく深呼吸して子供の頃に戻った。