「詩穂(しほ)のことは本当に好きだ。だけど、もうどうしようもないんだ」

 ローテーブルの向こうで、浅谷(あさたに)弘哉(ひろや)が言った。六歳年上の三十三歳。穏やかでいつも優しい彼が、今日は整った顔に沈痛な表情を浮かべている。

 三週間ぶりに詩穂の部屋を訪ねてきて、いったいなにを言い出すのだろう。詩穂は不安に襲われながら、恋人の話の続きを待つ。

「会社の会長である父が……俺の社長就任の条件として、取引先銀行の頭取の令嬢と結婚しろと言ってきた。父には詩穂のことを話したんだけど……会社社長の嫁にはその地位と家柄に見合った女性でなければ認められないと言われたんだ」
「そんな……。私と弘哉さんは……三年も付き合ったじゃないですか。弘哉さんの下で一生懸命働いてきたのに……それじゃダメなんでしょうか?」

 弘哉の表情は悲しそうなままだった。詩穂は膝の上でギュッと両手を握って続ける。

「だったら、もっともっとがんばって出世します! そうして少しでも弘哉さんの地位に近づけたら……弘哉さんと釣り合う女性になれませんか?」

 必死でそう言ったが、現実的にはそれはとても難しいことだとわかっていた。ひとつ上の主任になるためにだって、いったい何年働かなければならないだろうか。