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 リーム王国から宣戦布告されてから10日がたった。
 ヘンリーを中心として戦の準備は着々と進められている。
 それでも集まった兵はみんな農民たちばかりで、人数も50人が限度。
 一方の王国軍は200人の兵がいるらしいと、偵察にいってくれた町の青年が教えてくれた。
 人数からして圧倒的に不利だ。
 そのうえ、町を守る門は穴だらけで、あっさり破られてしまうだろう。
 
(とてもじゃないけど守りきれないわね)

 戦争のことなんて何も知らないけど、それくらいはよく分かる。
 となると皇都からの援軍に頼るしかない。
 そこで私たちは皇都に行ったマインラートさんを待つことにした。
 そしてこの日。
 ヘンリーが『作戦室』と名付けた領主の館の一室で待機していると、マインラートさんがやってきた。
 しかし彼の口からは良い返事が聞かれなかったのだった。
 
「議会と軍部で対応を協議するゆえ、今しばらく待て、とのことでございます」

 体のいい断り文句。
 当然、期待なんてするだけ無駄だ。
 予想通りだったから動揺はしなかった。
 しかしヘンリーは違ったようだ。
 彼は髪を逆立てて吠えた。
 
「くっそぉぉぉ!! あいつら姉さんを見捨てるつもりだなぁ! 許せねえ!!」

 顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいるヘンリーを見て、皇都に送らなくてよかったとつくづく思う。
 
「いかがなさいますかな?」

 一方のマインラートさんは冷静そのものだ。
 私は彼の問いかけに対して、考え込むこともなくすぐに口を開いた。
 
「どうしたらいいと思いますか?」

 ちょっとは自分で考えろよ、とヘンリーが言いたげに睨みつけてきたが、分からないものは分からないから仕方ない。
 軍人の経験もあるマインラートさんに意見を聞くのがベストだと思う。
 そして彼もまた考え込むことなく即答してきた。
 
「できる限りの準備をしましょう」

 つまり『打つ手なし』ってことね……。
 これも想定内だわ。
 私は小さくため息をついた。
 
「では領民たちが混乱しないように、井戸の隣に高札を立てましょう」

 高札とは掲示板のようなもので、領主からの連絡を書いた紙を貼り出す場所だ。
 つい先日、町のお祭りの案内に使ったばかりで、次は宣戦布告されたことに使うなんて考えもしなかった。

(どうにかしなくちゃ……)

 平静を装ってはいるが、焦りの火が徐々に広がっていくのを感じていた。
 心のどこかでは帝都から良い返事がもたらされることを期待していたのも事実だ。
 私だってヘンリーのように「ふざけないで!」と叫び出したい衝動もある。
 なぜなら王国の兵たちが町を襲ってきたならば、家は焼かれ、わずかな食糧は奪われ、若い女たちは奴隷としてとらわれてしまうのは火を見るより明らかだから……。

(なんとしても領民たちを守らなきゃ!)

 でもここで取り乱すわけにはいかない。
 それは領主として、そして姉としての責任感のようなものだった。
 
「姉さん……。それで本当にいいのかよ……」

 私は答える代わりに首をすくめた。
 本心と裏腹なことをしなくちゃいけないのは、私も大人の世界に足を踏み入れた証のように思えてならない。
 
「……俺はあきらめたくないからな。この町のことも姉さんのことも」

 ヘンリーが部屋を後にした。
 続けてマインラートさんが私の顔をじっと見つめてきた。
 何も言おうとしないけど、言わんとしていることはヘンリーと同じだろう。
 私は「ふぅ」と大きなため息をつく。
 そしてぐっと表情を引き締めて告げたのだった。
 
「私はあきらめてません。あきらめなければ『希望』は『現実』に変わるって、馬鹿みたいに信じているの」

 綺麗事なのは知っている。
 でも今の私ができるのは、あきらめずに最後の最後まであがくことだけだ。
 その気持ちにうそはなかった。
 私の決意が伝わったのだろうか。マインラートさんは目を丸くした。
 でもすぐに目を細めると、穏やかな笑顔となった。
 
「そうですな。いかなる時もあきらめてはなりませんな」

 そう言い残して、彼もまた部屋を去っていったのだった。
 
 

………
……

 あっという間に時が過ぎていった。
 なおも領主リアーヌ・ブルジェは領民たちにこう呼びかけ続けている。

――今すぐ町を出て、安全な場所で過ごしてください!

 しかし領民たちは誰一人として動こうとはしない。
 その理由は明確だった。

――私たちはもとより故郷を追われた者たちばかり。もうここ以外は行く宛てがないのです。

――それに何度も領主様が変わったことで、私たちがヴァイス帝国とリーム王国のどちらに所属しているか、誰も分かりません。なのでヘイスターの領民は町から離れるのを禁じられているのですよ。

 なんという残酷な事実だろう。
 しかし事実は事実。いくらリアーヌが頭を悩ませても変わりようがない。
 だから彼女は何も言えなくなってしまったのである。
 そうして気づけば王国軍が攻め込んでくるまであと3日と迫っていた。

 夕暮れ時。
 リアーヌの執事、マインラートは酒場でちびちびと酒を飲んでいた。
 彼もまた領民たちと同じように覚悟を決めている。
 それはもし主人のリアーヌが処刑となれば、自分も死のうということだ。
 
「とても不思議な御方だ……。リアーヌ様は……」

 彼とて自分の命は惜しい。
 しかし主人を一人で死なせるわけにはいかぬという使命感が勝っていたのだ。
 なぜ親子以上に歳の離れた若い領主にそこまで思い入れがあるのか、マインラート自身見当もつかない。
 それでも彼の覚悟はもはや揺るぎようがなかった。
 
「これが最後の晩酌かもしれんな」

 辺境の町の酒場だ。あまり旨い酒はない。
 しかし彼はじっくりと酒を味わっていた。
 とそこに珍しく客がやってきたのだった。
 
――カラン。カラン。
 
「いらっしゃい」

 マスターのクリオが低い声で迎える。
 マインラートはちらりと客の方を見た。
 正直客が誰であろうと、興味はない。
 しかし近くを通る者が敵か味方か確認せよ、と軍人の頃に何度も叩き込まれた習慣がつい出てしまったのだ。
 どうせ戦争のことを嗅ぎつけてやってきた野次馬の商人だろう。
 それくらいしか思っていなかった。
 だが客の姿を目にした瞬間に、彼の心臓はドクンと大きく脈打った。
 
「あなたは……」

 マインラートの口から洩れた言葉を嫌った客は顔を伏せたまま離れた席に座る。
 だからマインラートは顔をよく見ることはかなわなかった。
 それでも彼は確信したのだった。
 
「リアーヌ様……。あなたのおっしゃることは真実でした……」

 リアーヌ・ブルジェの希望が現実に変わったことを――。