6 .『共鳴』
 森林内を走る迷路のような車道を、津田夫妻は期待と不安を抱いてドライヴしていた。郊外のちっぽけな不動産屋で貰った地図には、小高い丘の天辺に一軒の売家を示す図が書き込んである。ピラミッド形の苔むした奇妙奇天烈な外観なので、森林浴に浸りながらドライヴする中に視つかる、との無責任かつ楽天的な担当者の説明に軽率にも即断してしまった。運転しながら、U FO 研究家の津田真之介は、複雑な表情で前方に広がる景色をそれとなく注視していた。
 助手席に座る細君の翠(みどり)は、イアフォンから聴こえてくる不快な音楽に耳傾けながら、うっすらと恐怖を表情に浮かべて身じろぎしない。絶叫が鼓膜を叩き、脳回路がショートしてしまうのではないかと思うほどの凄まじいロック音楽だった。大学で哲学を専攻し将来を嘱望されながら― ― 恩師の怒りをものともせず― ― 音楽評論家としてデヴューしてしまった翠は、古典哲学にしろ前衛音楽にしろ、学ぶには大差はないと思っていた。
 夫妻は今の借家を引き払い、中古の手頃な一軒家を入手するのが念願だった。十二畳もの洋間の大部分を占める書棚には、書籍や音楽C D 、映画ヴィデオが溢れ返るほど詰め込んであった。大学修士課程に在籍する息子の大介は幼い頃よりロック音楽に熱中し、到頭、友人らとロックバンドを結成してしまった。よりにもよって、独り立ちの難しい哲学を専攻した挙句、ロックにのめり込むとは、いったい何を考えているやら― ― 。
 そういう夫の真之介だって、U F Oマニアなのだから似たり寄ったりだった。妻の翠は、夫も息子も図体が大きいだけの子供にすぎないと理解していた。世の中には良からぬことに耽り、挙句の果てに犯罪に手を染めてしまう気の毒な人々がいる。正真正銘の狂人に比較したなら、ロックファンやU F O マニアなんて無邪気なものだ。イアフォンから聴こえてくるような、不気味なロックでなければ― ― 社会に害悪を広める訳ではなし、夢中になれるだけでも幸せというものだ。
 それとなく周囲を眺めながら運転していた真之介の、ちょうど森林の途切れた眼前に、苔むしたピラミッド状の小高い丘が視えてきた。道路は手前で急激に折れ曲がり、よほど迂闊なドライヴァーででもなければ、跳び込んでくるその偉容に眼を瞠(みは)るにちがいない。
 地上からピラミッドの頂点までおよそ3 0 0 メートル、車でならなんなく辿りつけるのだが― ― そう思いながら近づいていった夫妻は、横から上に向かっていると思われる、車一台がなんとか通れそうな道路を発見した。螺旋状になって上まで通じているらしいと分かり、そのまま進むうちに、奇妙な形状の一軒家の前に到達した。
 ドアに「ご自由に御覧ください」との貼り紙があり、把手に手をかけるかかけない中に、ガリガリギシギシと耳障りな音を立てて開いた。驚いた夫妻はそれでも、勇を奮い起こして中に入っていった。紫色の光を発する照明が足許を照らす。
 一階は身体の向きを変えるだけで、展望できる大広間になっていた。片隅にロフトに通じる、金属製の梯子が備え付けてあった。ロフトは屈む必要があったが、書斎にはもってこいだった。
 他に物色している人が現れない中に、契約してしまわないと、こういった手頃な住居には滅多にお目にかかれない。夫妻はそう気づいて、ドアの閉まる耳障りな音を聴きながら売家を後にした。不動産屋には、地図をくれた社員はおらず、耳の遠いオバさんが留守番をしているのみだった。
 不安と失望を表情に現すまいと努力しながら、オバさんに件(くだん)の売家について話すと、心得顔で契約書を持ってきた。必要な箇所に記入し終わり、契約書の写しを受け取った。ざっと内容を確かめた限り、支障なく契約が成立したことが分かった。何事にもせっかちな二人は、息子には事後報告ということにして引っ越しを済ませることにした。
 知人の経営する便利屋に連絡して間もなく、知人は屈強な若者二人を大型トラックに乗せてやってきた。大広間を2台の大きな書棚で仕切り、一方をキッチン、他方を居間兼寝室とすることにし、ロフトに大型の机1 台、椅子1 脚、ダンボール箱数個をロープを使って引き上げ、引っ越しは瞬く間に終了した。
 一同そろって、質素な引っ越し祝いを行なった。談笑しながら喫煙し、それからしばらくして知人は二人の若者を伴って引き上げた。
 真之介は、書棚からユングの著書を取り出し、ページを捲(めく)っていた。挟んでおいた栞(しおり)が、ハラリと床に落ちて直立した。夫妻の眼前で、その栞は浮き上がると宙を漂い始めた。 ヴェランダに出て視上げる夫妻の頭上に、巨大なU F O が音もなく浮いていた。手を振る二人に、U F O は船体を揺らせて消えた。
 驚愕は収まったが、昂揚状態は容易には鎮まらない。夫妻は興奮を抑え、蔵書や収集品を書棚に収納した。ほっとして、喫煙し珈琲を飲んで寛いでいると、家全体が激しく揺れ、宙に浮き始めた。家は真之介の脳波に反応した、異星人の遺棄船だったのだ。[完]