瑠衣は、椅子から突然立ち上がった。


「滝君」


滝君は、驚いて瑠衣を見上げた。


「…何…?」


瑠衣は、キョロキョロと窓の外や、部屋の中を見回した。


「私、…呼ばれてる…」



彼は、怪訝そうな顔をした。


「…?…誰に…?」




瑠衣は、首を横に振った。





「…わからない。…ゴメン!先に部屋出るね!」


瑠衣はドアの方へと歩き出した。



「…ああ」



彼は驚きながら、少し身を乗り出した。



振り向いて、瑠衣はこう付け加える。


「後で、みんなでトランプしよう。また、連絡する」





「…わかった」



彼は、後悔したように顔を歪ませ、こう言った。





「さっきは、ごめん。…怖い事して」



瑠衣は笑った。





「怖くは、なかった」




不思議なほど。







彼は驚いて、目を見開いた。




「本気じゃ、なかったでしょう?」



「……」



部屋のドアが閉まり、
瑠衣が、部屋から出て行った。








「……本気じゃ無かったら、あんな事出来るかよ…」












彼は目の上に右腕を乗せながら、椅子にもたれかかった。












これは、何?
誰かが自分を、呼んでる。




理衣のしわざ?!



時々妹から、頭の中で妙な呼び出しを食らう。


彼女が作った、おかしな発明品のせいで。


体が、勝手に動く。
衝動的に。




…エレベーターで1階に降りて、訳がわからないまま、旅館の中庭へ。



小石が敷き詰められた格調高い庭園風の中庭には、細い橋がかかった小さな池が中央にある。

石造りの立派な灯篭が、辺りをほんの少しだけ明るく、青白く照らしていた。

この静かな中庭で、池の脇に佇むたった1人の人間が、瑠衣をここまで呼び出したのだ。




トオヤだった。






「……私を、呼んだ?」





「…瑠衣」




トオヤは振り向いて、瑠衣よりも驚いた顔を見せた。



「まさか、本当…?」




彼の手の中には、彼の携帯電話があった。

その指は、ケースの『シルリイ』に触れていた。



理衣が作った『シルリイ』は、本当に彼女を呼ぶ事が出来るなんて。



「どうして…?」


瑠衣はトオヤに思わず尋ねた。


「私を呼んだのは、トオヤ?」



トオヤは曖昧に微笑み、



「内緒」


自分の戸惑いに震えたようになりながら、
みるみるうちに顔が赤くなった。



「……どこにいたの?瑠衣」




瑠衣は、トオヤの顔をじっと見た。
今までとは全く違う、彼の表情。



自分の情熱に怯えたように緊張しながら、
瑠衣との距離を、少しずつ縮めていく。


「ずっと瑠衣を、探してた」


夜の庭園の中、灯篭から漏れる青白い光がトオヤの、美しい輪郭をはっきりと輝かせる。







「瑠衣に、会いたかった」







「……」







どうしてこんなに、
磁石のように心が、
引き寄せられるんだろう。








トオヤは、瑠衣に尋ねた。
静かに歩み寄りながら。








「…何か、あった…?」









この質問は、以前にもした事がある。








あの時は、駅のホームで、
瑠衣は恐怖に震えていて、
トオヤは瑠衣に、
触れる事は出来なかった。







瑠衣は、首を横に振った。





トオヤは、少し苦笑いをした。





瑠衣は、涙を流している。







「やっぱり、泣き虫」








トオヤは瑠衣のすぐ側に近づいて、長袖シャツの左袖で瑠衣の涙をそっと拭きながら、こう尋ねた。




「触れていい?瑠衣」




「…?」





瑠衣は泣きながら、頷いた。





トオヤは瑠衣の体を引き寄せ、宝物を扱うように、優しくぎゅっと抱きしめた。



吐息を、感じる。



全身が、痺れていく。




瑠衣は、言葉を発しなかった。



どの言葉も、見つけられなかった。







「今まで滝と、一緒だった…?」







瑠衣は、頷いた。
そして、目からまた涙が溢れてきた。




何が何だか、訳がわからなくなった。




何故、今、自分はトオヤに抱き締められているのか。

それさえも。




「何か、された…?」





瑠衣は、また首を横に振り、




「私が、最低な事をしただけ」




と、答えた。






「瑠衣…」






瑠衣を抱きしめながら、



「見て」



彼は、囁いた。



「……?」


彼は瑠衣から体を離すと、ポケットから小さな物を2つ取り出した。


『シルク』の顔そっくりの、キラキラ輝くビジューで出来た、イヤリング。


イヤリングの白猫は、こちらを見てにっこりと、微笑んでいる。





「つけてあげる」







彼は瑠衣の左耳に触れ、
小さなイヤリングを、ゆっくりとつけてくれた。




…ぞくっとした。

特別な何かが起こっているような。





彼は、瑠衣の右耳にもそっと触れ、
もう片方のイヤリングも、つけてくれた。





…くすぐったい。





「似合ってる」





熱い吐息が直接、耳にかかる。





これではまるで、瑠衣の反応をただ、観察しながら楽しんでいるかのよう。





どんな顔をしていいのか、わからなくなる。





「ありがとう…」


触れるか触れないかの距離で魅惑的に微笑みながら、トオヤは頷いた。






「うん。これはもう、瑠衣のもの」






気づくと、完全に涙は止まっていた。






…少しだけ、意地悪をされていたような…?










「俺だけ見て…瑠衣」











トオヤは切なそうに、目を潤ませた。










「誰の所へも、いかないで」










答えを、求めてはいないような、囁き。

彼は瑠衣の髪に触れ、後れ毛を左耳にかけ、イヤリングにキスをした。











「側にいて」












これは、命令…?

また、その目に射すくめられる。















「ちゃんと瑠衣に、俺を見てもらうから…」











瑠衣は、頷いた。






トオヤは瑠衣の手を握り、






「戻ろ」


と言って、部屋へと歩き出した。