「私ね、本当のこと言うと随分、無理をしてたわ。知ってるでしょ、私がお料理や家事、好きじゃないってことを。」

「ああ、そうだったかな。」

適当な相槌を打ちながら僕は彼女の額に掛かる前髪を中指で軽く分けてやる。

「そりゃあ、毎日々続けていれば下手なりにも上達はするけど。でもね、だからといって好きになるかは別だわ。」

「そう?好きになる場合もあるんじゃないの?」

分けた前髪から覗く少し広めの彼女の額にそっと口付けてしまいそうになるのを堪える。

駄目だな。

僕のぬるま湯的な思考は彼女の淡々とした声に切り捨てられる。

「ちょうどいいと思って。」

「ちょうど?」

「ええ、ちょうどいいのよ。もう終わりにしましょう、私達。」

ああ、そうか。

そうなんだね。

君はずっと考えていたのか。

幾日も幾日も、僕と君との未来をどう終わらせるか考えてくれていたんだね。

今のこの瞬間も。

だからこそ僕は、受け入れなくては何もかもを。

「そうだね。これ以上、君に煩わしい思いをさせるのも不甲斐ない。それに元々、料理は僕の方が得意だ。」

僕はこうして今日も彼女に別れを告げる。

「君とは終わりだ。別れよう。」

「そう…良かった。これで私も安心してーーー」

ーーー眠れるわ

静かな白い空間に彼女の寝息が渦巻いて流れていく。

まるでいくつもの時《とき》のスパイラルに絡め取られるように。

そしてまた、明日の彼女は言うだろう。 

「終わりにしましょう、私達」と。 

脳の中に腫瘍が見つかったのは三年前、彼女も僕もまだ30代に入ったばかりだった。

それは手術の出来ない位置にあり、そしてそのせいで彼女は夢と現《うつつ》を未だ行き来している。

眠りとともに終える今日は明日の目覚めとともに消えてしまう。

けれど彼女が目覚めるたびにこんなことを僕に言うのはきっと、

まだ彼女の中に完全な彼女がほんの少し残っていて眠りながらも考えているからだろう。

自分がいなくなった後の事を。

残される僕の事を。