ひどい豪雨の日だった。

薄黒い雲が空全体を覆い、隙間が見えないほど細い雨が地に降り注いでいた。

雨宮 音羽と僕が愛読していた森鴎外の『高瀬舟』の最後のシーンが頭をよぎる。

病を患い、兄に迷惑を掛けたくない、と思った弟は自殺を図るがそれは失敗という結果になる。苦しい苦しい、とうわ言を言う弟を自らの手で兄が弟を殺めるのだ。

罪人となってしまった兄は弟を殺して本当に後悔は無いと言った。寧ろ、これから先、罪人であっても働かずにタダ飯が食えるのであれば、暖かい寝床があるのなら、その方がいいと言ったのだ。

だが、本当にそうなのだろうか。
若しかすると、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
本当の本当は弟と苦しくとも生活をしていきたかった、だがそんなことを考え始めれば深い罪悪感に陥って、自分自身を許せなくなってしまうから、弟の方へ行きたくなるに決まっているから。

しかし雨宮は言った。
それならどうして弟を殺した後に自分も死ななかったのだ、と。第一発見者は、兄が働きに出ている間、いつも面倒を見てくれていたお婆さんであった。お婆さんの足であれば警察を呼ぶまでに少しの時間があったはずだ、と。
雨宮の言い分はこうだった。
弟が苦しんだ分、自分も罪悪感と戦って苦しまなければ割に合わない、と感じたのではないか、と。だから兄は死ななかったのだと。

雨宮の言い分は実に美しいものだった。

ありふれた僕のような人間や、考えることすら億劫だと感じて、そのまま本の内容を理解する読者とは全く違うように見えた。

「いつか、二人でお金を貯めて遠出したいね。森鴎外が住んでた場所ってどこなんだろう?そこに答えがあるかもしれないね」

なんて、歌うように笑った君が脳裏をよぎる。
結局、二人の意見は分かれたままで、きっとその答えが見つかることは

地球が何回廻ろうと
その機会は訪れることは無いだろう。