「砦は制圧させてもらった。あとはお前たちが最後だ」

 記憶を喪失しているはずのシェイドはダガロフさんやアスナさん、それからアージェを振り返って「アージェは捕虜になっている仲間の救助、その他はレジスタンスを捕らえろ」と指示を飛ばした。記憶を喪失した状態で迷わず適材適所に仲間を配置するシェイドを見ていると、やはり芯に王子としての素質があるのだと思い知らされる。

 彼が来たからにはもう大丈夫だと緊張が解けたとき、ノーノは苛立たしげに松明を地面に叩きつけた。

「王子って部下に指示するだけが仕事じゃないの? こんな前線に出てきちゃって、無能なくせに本当ムカつくなあ」

 ノーノが呟いた瞬間、一歩下がって事の成り行きを静観していたオッターヴォが鎌を構えた。そのまま大きく踏み込み、シェイドに襲いかかる。

 ――いけない、シェイドには記憶がないのよ。剣術の記憶なんて、きっとないはずだわ。

「シェイド!」

 私が悲鳴に近い声で叫んだとき、シェイドはサーベルを流れるように横に払い、鎌を受け流した。しかもそのままでは終わらず、よろけたオッターヴォに向かってサーベルで突きを入れ、その首筋に刃を軽くあてがう。

 鮮やかな剣技に目を見張ったオッターヴォを追い詰めたシェイドは、微笑を口元に浮かべた。

「彼女を傷つけた罪は重い。その身をもって償え、無論――牢屋の中でな」

 どこにいても必ず助けにきてくれるシェイドに胸をときめかせていると、エドモンド軍事司令官は木の棒に縛られたままハッと笑う。

「来るのが遅いんだよ、腹黒王子」

「そこの毒舌軍事司令官殿、随分な有様だな。日頃の行いが悪いせいじゃないか」

「この野郎」

 シェイドはエドモンド軍事司令官のことを覚えていないはずなのだが、会って早々に口喧嘩が始まる。
 ある意味仲がいいんだな、と苦笑いしているとアージェがエドモンド軍事司令官の縄を切って解放した。

「クソ痛ぇ……あと、そこの王子に助けられたのも癪だ」

 エドモンド軍事司令官は腕をさすりながら、ボロボロな状態でどうして立てるのかと疑問に思うほど平然と部下から受け取ったロングソードを手に取る。

「つうわけで、てめぇら全員地獄に送ってやる」

「なら、僕が道ずれにしてあげるよ」

 ローブの中に手を入れてショットガンを取り出したノーノだったが、閃光の如く素早く懐に入り込んだエドモンド軍事司令官の剣に弾き飛ばされる。

 宙をショットガンが舞い、逃げようとするノーノをエドモンド軍事司令官がさらに追い詰めようとしたとき――。

「役立たずの幹部を片付ければ、俺が幹部に昇格だ!」

 レジスタンスのひとりが仲間であるはずのノーノの前に立ち塞がって、剣を突きつける。
 ノーノは私欲を丸出しにしたレジスタンスの男に「裏切り者っ」と憤慨し、踵を返して屋上の縁に立つと両手を広げた。

「あんたたちに奪われる命なら、自分で終わらせるよ」

 鳥が羽ばたくように両手を広げたノーノは、こちらを向いた状態で笑みを浮かべながら後ろに倒れていく。それに全員の気が逸れた隙に、シェイドの剣から逃れたオッターヴォがノーノに駆け寄った。

「ノーノ!」

「オッターヴォ兄さん……?」

 傾くノーノの身体を抱きしめたオッターヴォは一緒に縁の向こうへと落ちていく。それからドサッと大きな音がして、最悪な事態を想像した私は息が震えた。

 この高さから落ちたら、まず生きていないだろう。ふたりは権力者だけでなく仲間にも裏切られて、どれほど無念だったか。

 そんな死を迎えていいわけないと、私は暗器のナイフを手に固まっているアージェに「私の縄を解いて!」と叫ぶ。

 その声で我に返った様子のアージェが縄を切ってくれたので、私は屋上の縁に駆け寄り、恐る恐る下を覗き込んだ。
 すると幸いにも下にはもう一段階、外へ張り出ている露台があった。

 とはいえ決して低い高さではない上に石材で造られた地面に落ちたので、無事であるとは言い切れない。

「大変、ふたりのところに行かないと……っ」

 慌てて走り出そうとしたのだが、貧血と栄養失調から眩暈に襲われてふらつく。顔面から地面に倒れそうになったとき、私の身体は誰かに抱き留められる。

「若菜、顔色が真っ青だ」

 耳に慣れ親しんだ声に顔を上げると、シェイドが案じるような目で私を見つめている。

「シェイド……でも、行きたいの」

「だが、服にも血が滲んでいる。彼らの処置はシルヴィに任せて、あなたは治療をしたほうがいい」

「ううん、私にできることがあるかもしれないから……」
 
 気を揉ませて悪いとは思うけれど、後悔はしたくないので首を横に振る。頑として譲らないでいるとシェイドはため息をついて、私の身体を横抱きにした。

「ならば、俺が運ぼう」

「シェイド……」

「降ろしてなんて言ってくれるな。ただでさえ、何日も投獄されていたあなたを助けにいけなかったんだ。これくらいはさせてくれ」

 有無を言わさないシェイドに甘えて、私はその首に腕を回す。この場をアスナさんとダガロフさん、アージェに任せた私たちは下へ降りてノーノたちが落ちた露台にやってきた。

 そこにはすでにシルヴィ先生が駆けつけており、意識のないオッターヴォの頭を押さえている。

「シェイド、降ろして」

「ああ、無理はしないでくれ」

「ええ、約束する」

 私はシェイドに地面に降ろしてもらうと、よろめきながらもノーノとオッターヴォのそばにしゃがみ込んだ。
 シルヴィ先生は一瞬、私を気遣うような視線をを向けてきたが、すぐに医者としての報告を始める。

「弟のちび助のほうはこっちの長身の兄貴が地面衝突まで抱きかかえてたから、その際に地面を転がった擦り傷と打撲程度で済んでる。だが。問題は……」

 シルヴィ先生は頭部から出血しているオッターヴォを見て、深刻そうな顔をした。

「出血自体は多くない。傷口は皮膚を縫合すりゃあいい。ただ、自発呼吸があって脈も正常だが、呼びかけにも痛み刺激にも反応しねぇ。となると、頭ん中がどうにかなっちまってるかもな」

「脳外傷で昏睡状態、そのまま意識が戻らない可能性もあるわよね」

 目を閉じているオッターヴォをシルヴィ先生と見降ろしていると、私の服が後ろから引っ張られる。

「それ……どういう、こと?」

 振り返ると意識が戻ったノーノが痛みを堪えながら、荒い呼吸で尋ねてくる。

 本来ならもう少し回復してから話すべきだとは思うが、本人が求めている以上は説明の義務があるので私は躊躇いがちに彼の兄の病状を話す。