アストリアに滞在すること一ヶ月。
シェイドの説得もあって議会では無事に助産所の設置が決まり、その建設と同時に助産師として働きたい女性がアストリア城に集められた。
私はいつもの看護師の制服ではなくシェイドが用意してくれた紺色のAラインのワンピースに身を包み、新しく建て直されたアストリア城の講堂で助産師育成のための講義を行う日々を送っている。
「若菜先生、分娩第一期の陣痛発来から子宮口全開大にかけての看護について、もう一度お聞きしたいのですが……!」
「今度、若菜先生のお産の介助を実際に見学させていただくことはできないでしょうか?」
講義が終わったあと、教壇に広げていた資料を片付けていた私は勉強熱心な研修生たちに囲まれる。
「皆、ひとつづつ答えていくから落ち着いて」
研修生の年齢層は十代から自分の子育て経験を活かしたいという四十歳と幅広い。助産師資格はアストリアの医師と相談して作った筆記試験と実務研修を三年乗り越えて初めて取得できる。
決して簡単な道ではないけれど、彼女たちなら乗り越えられるだろう。研修生たちの意識の高さに、私も背筋が伸びる思いだった。
こうして、本日の講義を終えた私は研修生たちに手を振って講堂を出た。
今日は夜に城主催で城下町で復興祭が行われる。私も参加するので、それまでの時間をどう過ごそうかと考えながら廊下を歩いていると――。
「女が働くなんて、みっともないよな」
「ああ、助産師だったか? そんなにお金に困ってるってことなのか、それとも嫁の貰い手がないのか、不憫だな」
廊下の先でアストリアの兵士たちの話し声が聞こえた私は足を止める。その拍子に靴音が鳴ってしまい、彼らが私を振り向いた。
ふたりの兵士たちは目が合うと、不粋な嘲笑を唇に浮かべて近づいてくる。
「これは若菜先生、講義お疲れ様です。どんなご高説が聞けるのか、機会があればぜひ我々も参加したいものです」
心にもないことをつらつらと述べる兵士に愛想笑いを返しつつ、私は角が立たないようにお辞儀をして立ち去ろうとした。
しかし、私の後ろから研修生たちがやってくるのに気づいた兵士たちは「来たぞ、嫁にいけない余り物の女たちだ」と笑いだす。
それは研修生の耳にも届いたのだろう。彼女たちはなにも反論はしなかったが、沈黙が不服さを表していた。
「助産師の勉学に励む前に、男を愉しませるための口上と作法を覚えたほうが利口なんじゃないのか? なんなら……」
一歩近づいてきた兵士のひとりが私の頭から足先まで舐めるように観察したあと、なんの遠慮もなく顎を持ち上げてくる。
「別嬪な先生が夜の世話もしてくれるっていうんなら、喜んで嫁に貰うが?」
今日はせっかくの復興祭で、ましてや彼は他国の兵士。揉め事を起こすのは不本意だが、私の大事な生徒たちが侮辱された。自分だけならまだ我慢できたけれど、彼女たちの努力や助産師への志を穢すのは到底許せない。
噴火寸前の怒りを必死に堪えて、私は兵士の手を払いのける。
「私は看護師であって娼婦ではありませんので、勘違いなさらないでください。それから女性蔑視するにせよ、理由が幼稚すぎます」
「な、んだと?」
言い返されると想像もしていなかったのか、兵士は私の剣幕に呆気にとられていた。
女性は慎ましやかであるべき、一歩下がって男性のあとをついていくべきというこの世界特有の風習のせいだろうか。
時代遅れな考えだと残念に思いながら、私は兵士に詰め寄って人差し指を立てて諭す。
「いいですか、あなたがそうして大人になれたのは誰のおかげです?」
「は、はあ?」
「いいから、答えなさい!」
語気を強めると兵士の顔は強張る。彼は身を仰け反らせつつも「お、親だが……」と答えたので、私は腰に手をあてながら頷いた。
「そう、正解です。あなたはお母さんが陣痛という二時間もの激痛に耐えて、命がけで出産しなければこの世にすら存在できていません。ちなみに陣痛は男性では耐えられず、死ぬとまで言われています」
最後のはあくまで言い伝えの域を出ないが、脅しとしては十分だろう。兵士たちは私と目を合わせるのも恐ろしいのか、視線を彷徨わせている。
「あなたが兵士として今の地位を築いたのはとても栄誉あることです。でも、今のあなたがいるのは母親がこの世界に産み落としてくれたからだわ。どうか、あなたのお母さんと同じ女性を侮辱するのはやめてくださいませんか」
お願いするように頭を下げると、兵士たちがばつが悪そうに息を詰まらせている。私は顔を上げて、もう一度念を押すように言葉を重ねた。
「助産師はあなたのような立派な兵士や医師、看護師……。いずれ未来を担う子供たちを守り育てる尊い仕事です。それを応援してほしいんです」
日本も外国に比べて女性が活躍する社会への抵抗は少なからずあった。それでも私は先生として、彼女たちが男性と肩を並べて働けるように伝えていかなければならない。
臆することなく兵士の前に立ち塞がっていると、ふいに後ろから腕が伸びてきて私の腰に回る。
「すまない、俺の婚約者が粗相をしただろうか」
聞き覚えのある声に振り向くと、シェイドが私を抱き寄せていた。その顔にはいつも通り爽やかな笑みが浮かんでいるのだが、目は冷ややかだ。
兵士たちは「お、王子の婚約者!?」と顔を真っ青にして、わなわなと唇を震わせながら後ずさる。そんな彼らになおも笑顔を向けているシェイドは意地が悪い。怖がっているのを承知の上で圧を与えているところを見ると、私のために怒ってくれているのだろう。
庇ってくれるのは嬉しいが、兵士たちが不憫になってきたところで助け舟が入る。
「わたくしが女王になるとわかっていながら、女性を慰み者としか考えられない発言をなさるなんて、我が国の品位が問われますわよ」
ツカツカとヒールを慣らし、ピンク色のシフォンドレス姿で現れたのはマオラ王女だった。……なのだが、長かったはずの赤い髪が肩につくかつかないかくらいのところでバッサリと切られ、スッキリとしている。
兵士や研修生、それから私も彼女と会うのは久々だったので驚いていると、マオラ王女は髪を手でサッと払う仕草をした。