俺の元に一本の電話が入った。
「もしもし‥‥」
「お兄ちゃんでっか」
「‥‥‥‥?」
憶えの無い男の声だった。
「親父さんが意識不明‥危篤や。直ぐ帰って来てもらえまへんか」
「危篤?」
「そうや、朝自宅で意識無くならはってそのまま緊急入院や。もうあかんか植物人間か、良うても不随らしいんですわ」
「‥‥‥‥」
意識を無くした父親の手帳から俺の連絡先が分かったと説明された。俺は、
「今直ぐには帰れない、良くも悪くも容体が変わったら又連絡をくれ」
と、だけ言った。

 四日後、同じ男から死亡通知の電話が入る。

 新幹線代を前借りし一路、指定された駅へと向かう。俺は父親が何処に住んでいるのかを知らなかった。約束の時間に駅前に立つと、白のスーツの上下、一目で『そのスジ』と解かる出で立ちの初老の男が近づいて来た。
「大きならはったなあ」
「‥‥‥‥?」
「憶えてはらへんか?そらまだ子供やったさかいなあ」
相手は子供の頃の俺をよく知っているみたいだった。

 父には俺を入れ四人の子供がいた。十九歳違いの弟、二十歳違いの妹、そして二十八歳違いの弟。一番下の弟の母親が喪主を努めたのだが、その時初めて会った彼女は俺より二歳年下、しかも俺と同じ小学校に通っていたらしい。不思議な気持ちになる‥。
 通夜、葬儀と立ち会い、火葬場で骨を拾う時、小学生の弟は亡骸をを見て呆然としている。彼には初めて見る光景がショックだったのだろう。
「人間死んだら皆同じさ‥」
これが彼に話した最後の言葉だ。子供の頃の俺に瓜二つだったその子の居場所は知らないし、二度と逢う事も無いだろう‥‥。
 四日間を高級ホテルで過ごし、帰りは取ってくれた『のぞみ』のグリーン車で東京に戻る。生まれて初めてグリーン・シートに座った。

 目を閉じ、俺は父親の人生を考えてみた。
「頭が痛い‥‥」
と、言いながら取り立てて苦しむでもなくそのまま意識が無くなり数日で逝った。
 病院のベッドで、最後の若い奥さんが話しかけると目に涙がにじんでいたらしい。つまり意識はあったのだろう。
 しかし、まるで理想的とさえ言える死に方で、計り知れぬ程人に恨まれ、言い現せぬ程人を苦しめた男の死に様はこんなにもあっけなく、楽にさえ思える最後だった。

 俺はすんなりと理解出来なかった。