まあ正直、今までも幸福だったのかと問われると、怪しいところではある。

いつか幸福になりたいな、と薄く望んだ事はあった。

それが頭に浮かぶのは日常のふとした時で、例えば空の三日月が刃に見えた時。夕焼けが血に見えた時。


"でも、果たして何を持って幸福と言えるのだろう?"

大抵、考えはそこで止まる。
輪郭の無いものの事を考えるのは、少し苦手だ。

それでも、なぜかしばらくするとまた考えに耽っている。
終わりの無い茶番。いつも自分が自分を嗤う。

それなのに、今日はなんて珍しいのだろう?
だって、胸を張って言える事が一つだけあるのだ。



――――嗚呼、見事な程に不幸だ。







「金の髪か!これは初めて見たな!」

目の前で、髭の親父が舌なめずりした。

身なりの良い男だ。頬も腹も、幸福の象徴にように丸みを帯びている。
さぞかし普段から良い物を食べているのだろう。

だと言うのに、その眼はなんとも嫌悪感を感じざるを得ない。
人を小馬鹿にするような、見下すような、そんなもの。


(……こっちを見るな、こっちを)

その顔面をひっ掴んで、視線を逸らしてやりたい。

しかし生憎両手は後ろで固く縛られているため、それも不可能な願いだった。



「なあに、あの髪の色」

「人間じゃない、きっと物の怪だ」

「怖いわねえ。おお、いやだいやだ」

ひそひそ、ひそひそと。
遠巻きに様子を伺っている村人達の声が耳に煩い。

どうやら、黒い髪しか見たことの無い人々から見ると、この髪は畏怖の対象となるらしかった。


(この国の人……おかしくないか)

目の前で今まさに人身売買が行われようとしているってのに、誰も咎めないのか。

一体なんて国だ。
とんでもないところに来てしまった。


(あーもう、なんでこんな目に合わなきゃならないんだ)

湧きあがる悔しさに、少女――――カヤは、唇を噛んだ。
苛立ちを込めるように下唇に歯を突き立てるが、絶望感は緩和されてくれない。


実を言えば、少々訳があって国境の山を一人彷徨っていたところ、人狩りにあったのだ。

後ろから袋のような物を被らされ、抵抗する間もなく縛られ、あれよあれよの間に、気が付けばこの国に連れてこられてしまった。

そしてなぜか、こんな往来で堂々と売り飛ばされようとしている。
この状況を不幸と言わず、何と言うだろう?



「こんな娘、見たことが無いでしょうよ、膳の旦那。ちと値は張りますが、いかがですか?特別にまけておきますぜ?」

小太りの男が、媚を売るように手を揉む。

こんなにも愛想の良いような顔をしておいて、人をいきなり攫った張本人なもんだから、人間とは恐ろしい。

「うーむ……しかし高いな。一年分の年貢と同額だぞ」

『膳』と呼ばれた男は、顎に手を当て考え込む様子を見せた。

"一年分の年貢"が一体どれほどかは知らないが、どうやら自分にはなかなかの値段が付いているらしい。全く嬉しくも無いが。


「膳の旦那、この娘はすぐに金になりますよ」

渋っている膳の背中を一押しするように、男が口を開いた。

そしてその指が、カヤの髪を一つにまとめていた紐に触れた。
あ、と思う間も無く、勢いよく紐が解かれる。

――――しゅるり。
支えを無くした金の髪は、地面をうねるように這った。



「ほう!えらく長い髪だな!」

膳の眼の輝きが一気に変わった。

「これだけ長ければ、かなりの金になりますよ。切り落としてしまえば、明日にでもすぐ売れます」

真反対に、カヤの目には影が落ちる。

「ふむ……それもそうだな。よし、買ってやろう!」

どことなく予想出来てしまったその答えが、まるで鉛のように胃の中に落ちて来た。