幽玄町の屋敷に戻って来ると、いよいよ妊娠したという実感がじわじわ競り上がってきた。

初期の初期らしく悪阻はまだ全然なかったものの、周囲から重々転ぶなとか重たいものを持つなとか口を酸っぱくして言われ続け、そして十六夜と息吹は――


「え?戻らないんですか?」


「息吹がお前の世話をすると言って聞かない」


「嘘、私のせいにしないで!父様がね、朧ちゃんのことが心配だから帰りたくないって駄々こねたんだよ」


「!だ、駄々だと?俺は別に…」


ごにょる父と満面の笑顔の母。

息吹には全く頭の上がらない十六夜は、朔たちの視線を感じて咳払いをして煙管を噛もうとしたが、朧の身体を気遣って懐に直した。


「…とにかく帰らないことにした。……迷惑なら帰る」


「迷惑だなんて思ってません!ね、氷雨さん」


「ああ、全然構わないぜ」


――過保護が家訓といってもいい位に鬼頭の者は心配性で、それと同じ位氷雨も心配性だった。

朧は外見に似合わずじっとしていることがあまりなく、常にはらはらしなくてはいけない身の氷雨としては周囲の者が目を配ってくれることはとてもありがたいと思っていた。


「そろそろ悪阻が始まるから食べ物の好みも変わるし動けない時も出てくると思うの。そういう時は母様に任せてね」


末娘の朧が妊娠したことを誰よりも喜んでいたのは息吹であり、しかも父親が氷雨となれば喜びもさらにひとしおというもの。

いつもよりどこか澄んだ空気を纏っている氷雨はまた精悍な感じになった気がして、ついほう、とため息をついて十六夜に睨まれた。


相変わらずの超がつくやきもち妬き。

ついでに睨まれた氷雨は苦笑いを浮かべて掌を見つめた。

意識を集中して耳を澄ませると、囁き声が聞こえる――

新たな境地に至っていた。