エミヤを仮初の寵姫として扱う事に関して、アルマドはいくつか条件をつけた。
アルマドが政務で忙しい昼間は接触しない。そもそも、部屋から出ることも許可しない。
夜は寝所で役目だけは果たしているように見せる。
食事はアルマドが許可したものしか口にしない。
大まかに分けるとこの四つに尽きる。
挙げられたそれらを前に、エミヤは不満げに眉を寄せた。
「待って。それって眠る場所は一緒だけど、私達の間にはなにも存在しないってこと?私の報酬条件知ってる?君の子供を身籠ることよ」
既に恥はかき捨てた。多少頬を赤くしながらも、エミヤは言い切った。
執務から戻ったアルマドを出迎えて、彼が持ち込んだ夕食を口にしながらの作戦会議が行われた。
鶏肉や野菜が柔らかく煮込まれた冷えたシチューに、そのままでは少し固いパンをひたして食べる。
温かければもっとおいしいだろうが、持ち込まれた料理がどうして冷たいのか想像できて、エミヤは美味しいね、と努めて明るく振舞った。
雪深いアシドニアでは、季節はもう春になるというのにその寒さは和らぎそうにない。
惜しげなく投げ込まれた薪を煌々と燃やす暖炉の前で、二人は分厚い絨毯の上で向かい合っていた。
「厳密にいえば、眠る場所も別だよ。僕は暖炉の前のソファで休むから、君はベッドへ。報酬条件については解っているけれど、君、僕の子供を身籠るという意味を本気で考えていないだろう」
言われ、エミヤは押し黙った。図星である。
目先の人参に釣られた馬のように、アサロ侯爵がぶらさげた報酬に目がくらんで飛びついてしまった。身籠るまでの過程も、身籠ってからのことも、正直深く考えていなかった。
報酬さえもらえればエミヤの妹たちは結婚式を挙げられる。
エミヤの最終目的は、それでしかない。あとはアサロ侯爵がなんとかしてくれるだろうとろくに考えもしないで、言われるがまま、アルマドの懐に飛び込んだわけである。
押し黙ってしまったエミヤに、アルマドは呆れたような溜め息を吐いた。
「君には、僕の寵姫としての事実をあげよう。その寵姫としての期間を証明として、僕が後ろ盾につく形を取るよ。身籠らなくても、アサロ侯爵の代わりに僕が君に報酬を支払う。そうだな……、ここに滞在する間、僕の話し相手になってくれたらいい」
エミヤごときが話し相手になって、彼は満足するのだろうか。
アルマドの言わんとしていることは理解できるが、彼になんのメリットがあるのかわからない。
「メリットなんか考えてないよ。僕が君にできることを考えたら、それくらいだったから」
ガシャ、と音を立てて甲冑を着込んだ肩が竦められた。
聞いてもよくわからない、というような顔をしているエミヤに、アルマドは兜越しに微笑む。
「あまり気にしないで。もう二度と会えないと思っていた幼馴染に奇跡的に会えたんだ。そんな君に、ただの一人の人間としてできることはしてあげたいなと思っただけなんだよ」
寵姫としての証をくれて、報奨金まで代わりに支払うという。
そんなこと、並みの一人間にできることではない。
「それで、今日は僕が執務に行っている間に何をしていたの?」
納得いかないが気持ちがもやもやとしてうまく言葉にできないでいるエミヤに、アルマドは違う話題を投げかけた。
言外に、この話はもうおしまい、と言われている。
察したエミヤは、それ以上の追及をやめた。
「君がお仕事してるのに、申し訳ないとは思ったんだけど……」
エミヤは前日の夜更かしがたたり、アルマドが帰ってくる頃まで眠り続けていた。
その間、〝根〟が監視を続けていたのだが、死んだように眠り続けている、という報告しかアルマドは受けていない。
アサロ侯爵がなぜエミヤを選んだか――この図太さに目を付けたのかもしれない。
「毒の影響もあって体が休息を望んでいたんだと思うよ。明日は執務の合間に余裕があるから、滋養効果のある薬草を見繕ってこよう」
「城でも薬草を育てているの?」
「うん。城に駐在する医師が育てているものと、僕個人の薬草園もある」
それを聞いたエミヤが、ぱっと顔を輝かせた。
「私も家で薬草を育てているの。一緒ね。森の魔女に教えてもらいながら、勉強して育てたの。アロエでしょ、チコリー、サルビア、リコリス、コリアンダー……」
エミヤが指折り数えていると、アルマドが感心したような反応を見せた。
「アシドニアでは育てるのが難しいものもあるね。どうやって育ててるの?雪と寒さにやられるでしょう?」
「うちで一番日当たりのいい場所に小さな温室を作ってあるの。離れの部屋の窓を外してね、それを木枠にはめて囲んで作ってあるのよ。まあ、離れは犠牲になっちゃったけど、いい薬箱ができたわ。雪が深いときは厚い毛布を何枚も重ねて、中の熱が逃げないようにしてる」
きっかけは下の妹が腹を壊したことだった。
物心ついた頃からそれなりに貧しかったサロバトフ姉妹の体は、なかなかに頑丈な造りをしている。しかしその腹痛はなかなか妹のもとを去らず、エミヤと上の妹は心配し通しだった。
町医者にかかり薬をもらったが、症状の改善は見られず薬代がかさむばかりで、エミヤを悩ませたものである。
そこで助けを求めたのが〝森の魔女〟である。
深い森の奥に居を構え、森で採れる薬草で作った薬をたまに街で売りさばいては肉を買っていく、という生活をしているよぼよぼの老婆のことだ。家に入ると瓶詰めのジャムや怪しげな粉、天井が埋まるほど大量に吊るされたドライフラワー、彼女の家を住み家としているヤモリ一家など、雰囲気が魔女っぽいので魔女と呼ばれるようになった普通のおばあちゃんである。
「へえ、森にはそんな人がいるのか……」
「街のお医者さんも優しいけど、薬代が高くて払えないときもあるの。だから、診てもらわないこともあるんだ。でも、森の魔女ならツケが効くから、症状を話して薬をもらってきたりする人、多いんだよ」
エミヤの話をアルマドは興味深げに聞いた。
街の視察などは基本部下たちの仕事で、アルマド自ら城下に降りることほぼない。年に一度の国立祭で、パレードに出るくらいである。
王位を継ぐのが早かったこともあり、自国の民の様子を知る機会がなかった。