そうして物語はハッピーエンドを迎える――。
はずだったのだが、予想だにしない事態が起きてしまった。
「王よ、アルマド王よ。どうか我が娘の後宮入りをお許しください」
「娘が、王との結婚を心から望んでおりまして……」
ひっきりなしに訪れる来客は皆が同じような言葉を繰り返している。
アルマドと晴れて想いが通じ合い、優しい水色の瞳に見守られ幸せにどっぷりと漬かっていたエミヤだったが、現実はそう甘くはなかった。
アルマドが毒を盛られてから一月は経とうとしていた。
暫く休養を取った後、アルマドは宣言通り、鎧を身に着けることなく執務へと復帰したのだ。
つまり、アルマドの美貌が白日の下に晒されたのである。
アルマドの生身の出現に、城は大いに揺れた。
醜い顔が隠れているかと思えば、美しい金の短髪、白磁の肌、鍛えられた体躯――神話もかくやというような美貌の男が現れたのである。
その動揺たるや凄まじいもので、その美貌は、アルマドを毛嫌いしていた貴族令嬢達にも衝撃を与えたらしい。
鎧のアルマドには寄り付きもしなかったご令嬢達が、あれよあれよとアルマドに心奪われ、王と結ばれたいと挙手しだしたのである。
王妃になりたいは勿論、結ばれなくても子だけは欲しい、せめて一夜の情けを……と、凄まじいおもてっぷりだ。
「薄情だな」
当のアルマドと言えば、そう一言言っただけで、興味のかけらもないようであるが。
「でもさ、めちゃくちゃ綺麗なお嬢さんに、涙ながらに好きですって詰め寄られたら、あのアルマドだって揺らぐと思わない?思うよね?」
温室の土をがしがしとほぐしながら、エミヤは後ろで茶をしているエン技師に愚痴を零していた。
「思わねえなあ。あのアルマドが見た目だけいい女に心を許すわけねえだろ」
エン技師は紅茶を片手に暫し考えて、呑気に答える。
「見た目もよくて中身もいい女の子が現れたらわからないじゃん!」
エン技師の返事などあってもなくても同じらしい。
エミヤはここのところ、アルマドに求婚してくるお嬢様方に嫉妬ばかりしている。
「アルマドが心を捧げてるのは嬢ちゃんひとりだ。心配すんなよ」
呆れたエン技師に頭をぽんぽんと叩かれるが、エミヤの気は晴れることを知らなかった。
(だって、あの子たちには後ろ盾がある。お金も地位も、政治的な意味でも、有力貴族の娘と婚姻を結べば、アルにとって有益になる)
対して自分はどうか。
貴族は貴族だが没落しかけている。
妹が二人いて、妹達の持参金すら出せない経済状況である。
しかも、報奨金目当てにアルマドの寝室に侵入したような女である。
「……私があげられるものなんて、この心と体だけだ」
「僕はそれが欲しいのだけど」
劣等感の塊のような呪いを吐き出したところで、そんな返事が返ってきた。
しゃがみこんで土をほぐしていたエミヤを背後から抱き上げる腕の逞しさに、エミヤは図らずもときめく。
あれ以来、こんな毎日だ。
アルマドに求婚する貴族令嬢に嫉妬し、アルマドにひたすらときめいて嫉妬心を忘れる、を一日のサイクルとしてこなしている。
「それ以外なにもいらないよ」
抱き上げたエミヤの頬に、そっとキスを落としてアルマドは笑った。
その笑顔のあまりの眩しさに、エミヤの心臓が悲鳴を上げる。
「ま、って。手が汚れてるから」
執務から直接温室へとやってきたのだろうアルマドは、濃紺の美しい羽織を羽織っている。
鎧の代わりに着るようになった上等な服を汚しては大変だと、エミヤは土まみれの腕を万歳してアルマドから遠ざけた。
「その手が好きなのに」
「はっ?」
「僕の温室のために手が汚れることも厭わないエミヤ。君だけだよ」
エミヤを抱えたまま水が張った盆のところまで行き、エミヤをそっと地面に下ろす。
甘い言葉に真っ赤になって放心しているエミヤをいいことに、アルマドはその手を取って水で優しく洗い始めた。
「アル。いいってば。自分で洗うよ」
「僕にさせて。鎧をつけていた頃にはできなかったことを、全部したいんだ」
そんな風に言われては、だめとも言えない。
エミヤは体の大きなアルマドに後ろから手を取られ、されるがまま指の間、爪の隙間まで洗ってもらった。
「そこまで愛されてなにが不安かねえ」
エン技師の呆れる声が聞こえたが、エミヤは沸騰した顔を隠すのに必死で応えることもできなかった。
今まで抑圧していた愛が爆発した――とは、ゴーストの言である。
エミヤへと想いを伝えてからというもの、アルマドの愛に際限はなくなってしまったようだった。
何を置いてもエミヤ、何があってもエミヤ、エミヤがいないと朝も来なければ夜も明けない。
アルマドは、言葉で、行動で、エミヤへの想いを伝えてくれた。
エミヤは、そんな幸せな状況にあるはずなのに、素直に喜べない自分も可愛くなくていやだった。
アルマドの愛を疑っているわけでは微塵もない。むしろそこに関しては信頼しすぎるほど信頼しているのだが、どうしても自分の無力さを忘れられずにいた。
アルマドさえ生きていればいいと思い、アルマドに想いが届くだけでいいと願い、今度は自分と貴族令嬢を比べての劣等感に悩んでいる。

「人間って、欲深い……」
「君の欲深さなんてかわいらしいものだよ」
ふたりきりを邪魔されたくないからとエン技師を強制的に退室させたアルマドは、エミヤを膝に抱えながら午後のお茶を楽しんでいた。
「甘やかさないでよ!アルがそんなんだから私がどんどん付け上がるんだよ!!」
膝の上できゃんきゃん吠えるエミヤを愛しそうに眺めながら、アルマドは首を傾げた。
「もっと付け上がったらいいのに。僕は君のものだよ。君は僕のものだけど」
にっこりと微笑まれて、エミヤは思わず怒った顔のまま涙ぐんだ。
銀の殻を脱いだ美しいこの男は、こうして度々エミヤを翻弄し、エミヤが抱えきれないほどの愛を囁いて、エミヤの胸をいっぱいにするのだ。
いっぱいになりすぎて、どうしようもなくて涙ぐむエミヤすら可愛くて、アルマドはふふっと笑う。
「……なんか、負けっぱなしでむかついてきた」
終いにはそんな頓珍漢なことを言い出すエミヤに、アルマドは声を出して笑った。
きっと死ぬまで、アルマドはエミヤに勝てないだとろうに、彼女はそれを知らないのだ。
「そういえば、手紙の返事はきた?」
「妹達から? うん。手紙でめちゃくちゃ怒られたけど、なんだかんだ許してくれたよ。あの子達、私に甘いんだ」
エミヤと想いを通じ合わせてから、やっと現実的な話をする余裕を持てたアルマドを驚かせたのは、エミヤが置手紙一つ置いて家から出てきていたことだ。
出稼ぎに行ってくる、と一言置いて、妹達に留守を預けたらしい。
エミヤの性格を知る妹達を、どれだけ心配させただろうか。
さすがにアルマドはエミヤを叱り、急いで家へ手紙を書かせたのだ。
アルマドがもしエミヤにそんなことをされたら、持てるすべてを持って彼女の所在を探し出す自信がある。
「二人とも、これ幸いと恋人の家に泊まることにしたから、心配しないでって言ってたよ」
エミヤに育てられただけある。逞しく図太い妹達である。
「もう少し落ち着いたら、君の妹達のところに挨拶に行かないとね」
「えっ」
なんとはなしに言われて、エミヤはアルマドの膝の上で跳ねて驚いた。
「当然だろう?ご家族に挨拶もしない不誠実な男と姉が結婚すると知ったら、彼女達は心配すると思うけれど」
大真面目に答えるアルマドに、エミヤは放心したまま固まった。
挨拶はもちろん大切だが、その前にアルマドはこのアシドニアの王であり、不誠実だとかなんだとかいう次元ではない。目の前に現れただけで妹達の目玉が飛び出すのは予想できる。
しかし今、エミヤの聴覚その他全ての機能を停止させたのは、〝結婚〟の一言である。
結ばれたとはいえ、まさかそこまで考えてくれているとは思わなかった。
勿論、エミヤだってアルマドがいい。アルマドと結婚して、彼を幸せにしたいと思う。
けれどアシドニアの王という彼の地位を考えると、そう容易なことでもない気がしていた。
はっきりと考えたわけではないが、そう簡単なことではないのだろうと漠然と思っていたのだ。
アルマドが口にしない限り、エミヤからは絶対に話題にしないと決めていた。
優しいアルマドにとって、それはある種のプレッシャーになってしまいそうだったから。
けれど。
「結婚、してくれるの?」
だから、思わず、アルマドを見上げたままそう訊き返していた。
「当然だろう?私はエミヤしか……」
アルマドは首を傾げて答えたが、意味を理解して肌を真っ赤に染めた。
悲しいかな、長年鎧で陽射しを遮ってきた彼の肌は、赤くなるとすぐわかってしまうのである。
「ち、ちが、エミヤ、ああいや、違わないんだが、そうではなくて、これを言うのはもう少し、君との仲を深めてから……、いや、ちがう、そういう意味ではなくて」
エミヤが、はい、しか言えないくらい外堀を固めてから言おうと思っていたらしい。
きちんとムードも作って、エミヤの思い出となるようなプロポーズを、と考えていたそうなのだが。
「ここずっと、そのことばかり考えていたから……。口が滑った」
赤くなった顔を自覚して、アルマドは両手で顔を覆い隠した。
それを見上げるエミヤも、首まで真っ赤にしている。
「茶番」
いつの間にかアルマドを呼びに来たというゴーストに、そう断じられるまで、二人は赤面したまま固まっていた。