「じゃあ、明日はお願い致します」
土曜日
森野さんや杉野チーフの宣言通り、前日の比じゃない程の客入りだった。
お客様が多い分、クレームやらなんやらと問題は次々と起こる訳で…。
その度にオタオタする私を、森野さんがフォローしてくれた。
明日、15:00以降に私と杉野チーフの2人になるのを不安に思っていると
「明日、森野君がお休みなら私、最後まで残りますよ」
パートの木月さんの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
森野さんは杉野チーフに引継ぎをして、いつもより少し早めに仕事を上がった。
私は昨日聞いた小さな小さな歌声が忘れられなくて、でも、それを森野さんに聞く勇気が無かった。
ただ…聞こえた歌声は本当に小さくて、本当は何か呟いていたのを歌に聞こえたのかもしれない。
私は不安をかき消すように首を振った。

日曜日。
土曜日に買えなかったお客様にプラスして、日曜日に買い物を予定していたお客様が開店1時間前には既に列を作っていた。
この時点で、仕入れた商品は完売になっている程の人の列。
店長と杉野チーフは話し合い、取り敢えず整理券を配ることにした。
近隣のご迷惑にならないように、開店してから再度ご来店頂くように促し、お店の入口には「〇〇は整理券の段階で完売致しました」と貼り紙をした。
ただ、杉野チーフは
「時間を守って来て下さるお客様に販売出来ないのが申し訳無い……」
と呟いていた。
その時、店長の店内放送が流れた。
杉野チーフが内線に出ると
「え!本当ですか?分かりました!すぐに用意します!」
明るい声になった杉野チーフを見ると
「森野君凄い!」
そう叫ぶと、ストック置き場の「大きなキッチン」と書かれた女児玩具の箱の中に、今、まさに売り切れた商品が入っていた。
うちのお店は基本的にメーカーと直接取引をしている。
ただ、中には古くからの付き合いで仲卸業者さんとも取引をしていた。
人気アニメや特撮ヒーローの人気番組の玩具を一手に販売している某メーカーは、黙っていても売れる商品を扱っている為、仲卸業者さんに無理難題を押し付けると噂には聞いていた。
人気商品を売る代わりに、抱き合わせで売れ残りの何処も買い取らないような玩具を売りつけるのだ。
かと言って、そんなに大きくも無い卸業者さんは在庫を抱える訳にはいかない。
そういう商品を、森野さんな安く仕入れて販売していたのだ。
安く……とはいえ、相手に原価割れを起こすような値引きでは無く、ギリギリの値段で引き受ける。
その商品を自分で試し、楽しめる方法を見つけて売り場へ出す。
楽しい商品なら、知らないメーカーや玩具でも子供達は食いつく。
値段が安ければママの財布も緩む。
そうやって卸業者さんを助けているので、メーカーさんから限られた商品しか届かなかったり、製造が間に合わなくて数が足りない時に助けてもらえる。
「森野君に感謝だね」
杉野チーフはそう言いながら、店長と何やら打ち合わせをしていた。
十時。
お店がオープンになった。
まぁ、整理券を持っている人は来る筈も無く……。
そんな中、店長に連れられた方が数人現れた。
「杉ちゃん、オープンに合わせていらした方やから宜しく~」
と店長がヒラヒラと手を振って去って行った。
お客様は怪訝な顔で杉野チーフを見ている。
「本日は、オープンに合わせてご来店頂きありがとうございます。お待たせ致しました」
そう言って、1人1人のお客様に売り切れている筈の商品を手渡した。
お客様が驚いた顔をしていると
「キャンセルが出た分です」
と笑顔で続けると、商品を受け取るお客様がみんな笑顔になって帰って行った。
……でも、焼け石に水な事も分かっている。
買いたい人に対して、売れる商品の数は圧倒的に少ない。
ルールを守っている人にこそ、買って欲しいと売る側は思う。
ただ、実情はそんな綺麗事では済まない事も分かっている。
でも、ルールを破って早く並んで玩具を手にしたとして、それを見ている子供はどう思うのだろう?
欲しい物を手に入れる為なら、何をしても良いと思ってしまうのではないでしょうか?
此処で働き始めてから、驚く光景を目にする事が多い。
ただ、そうじゃないきちんとしたお客様もたくさんいらっしゃる。
実際、他所の子供さんが玩具の開封留めシールを剥がす為に箱を破っているのを見て、慌てて注意してくださる方もいらっしゃる。
だからこそ、きちんとしたお客様を大切にしたいと思うけど現実は厳しい。
又、きちんとしたお客様は、商品が売り切れても私達に絶対文句は言わない。
「売り切れたんだって……。残念だけど、他のしようか?
ほら、あれを買わないから、これとこれが買えるよ~」
って、泣いている自分の子供をあやしている。
色々な場面に出くわし、本当に考えさせられる事が多い。
そして又、自分は目の前の良いお客様のようなお母さんになれるのか?と、自分に疑問を投げかける。
そんな事を考えていた閉店間際。
「ちょっと店員さん!」
明らかにヒステリックな声。
「はい」
必死に笑顔を作り振り返ると
「なんで〇〇が無いの!どこに行っても『売り切れ』って……。客を馬鹿にしてんの!」
そう叫ばれて
「申し訳ございません。人気がありますので、朝1番に売り切れてしまいました」
謝罪の言葉を口にした瞬間
「納得出来ない。本当は隠してるんじゃないの!」
激昂したお客様が、ストック置き場へ入ろうとするので
「すみません。ここから先は従業員以外は立ち入り禁止です」
慌ててお客様を制止する。
するとお客様は益々怒り出し
「退きなさいよ!そうやって隠すって事は、中にあるんでしょう!出せ!出しなさいよ!」
ドアの前に立ちはだかる私を、お客様は肩を掴んでドアへと叩き付ける。
私は頭をドアにぶつけながら、必死にお客様を止めていると
「お客様。それ以上騒ぐようでしたら警察を呼びますよ」
休みの筈の大好きな声に、私をドアに叩き付けていたお客様の手が止まる。
その隙を見て、声の主は私の前に立ちはだかった。
黒いスーツを着ていたけれど、後ろ姿で確信した。
森野さんの姿に気が緩み、涙がこぼれそうになる。
森野さんがお客様と話している間に、騒ぎを聞きつけた店長が飛んで来た。
「そんなに言うんやったら、見てもらえばええやん」
店長はそう言うと、お客様を連れてストック置き場から倉庫へと案内した。
私はお客様が倉庫に行った瞬間、腰が抜けてしまう。
その瞬間、森野さんが私を抱き留めてくれた。
「大丈夫か?」
広い森野さんの腕に抱き留められて、益々腰が抜ける。
上手く立てないで居ると
「お前、少しは反抗しろよ」
と、森野さんは心配そうに言うと、杉野チーフが持って来てくれた椅子に座らせてくれた。
何となく森野さんから離れるのが名残り惜しい気持ちになりながら、椅子に座りホッと一息吐く。
すると突然、森野さんが私の後頭部に触れて
「大丈夫か?コブ、出来てないか?」
そう尋ねて来た。
「はは……はい、大丈夫です」
珍しく優しい森野さんにドキマギしていると
「これ以上馬鹿になったら大変だからな」
って言いながら笑っている。
「ちょ!これ以上ってどういう意味ですか!」
「そのままの意味ですが?」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんですからね!」
「お前…小学生男子か…」
私と森野さんが言い争っていると、お客様が納得いかない顔して戻って来た。
「あれで全部です。隠して無いって分かって頂けました?」
関西訛りが混じった言葉で、店長がお客様に質問した。
「信じないから!絶対、隠してるのよ!」
そう捨て台詞を残して帰ろうとしたお客様に、森野さんが
「待ってください!こいつに何か無いんですか?」
って、怒った顔でそう言い出した。
「えっ!あの、私は大丈夫ですから……」
と慌てて言うと
「せやな。言い掛かり着けて、うちの社員を怪我させる所やったんやし…」
そう店長が私の言葉を遮った。
「はぁ?商品を置いてないあんたらが悪いんでしょう!」
そのお客様は吐き捨てるように言うと、子供の手を引いて帰ってしまった。
「おい!」
追い掛けようとする森野さんの腕を掴み
「もう、良いですから!」
私は必死に止めた。
「せやけど……ホンマに酷い客やったなぁ~」
溜息混じりに店長は呟くと
「で、何でお休みの森野君が此処におるの?」
ニヤニヤした顔で森野さんに呟いた。
「売り出し最終日なんで、気になって来ただけですよ」
顔色一つ変えず、森野さんが店長の言葉に答える。
その時、さっきは気付かなかったけど、森野さんの左薬指に指輪があるのに気が付いた。
明らかに古い物で、昨日今日の品物では無い。
その瞬間、私の心臓がバクバクと嫌な音を立て始めた。
「墓参りの帰りやろ?喪服が汚れるから、今日は帰った方がええ」
店長の言葉に、私は弾かれたように森野さんを見た。
たしかに、黒いスーツに黒いネクタイをしている。
「早いなぁ~。もう、十六年か……」
呟いた店長に、森野さんは視線だけでそれ以上の言葉を止めた。
店長は私を見て苦笑すると
「なぁ、もうええんやないか?」
ポツリと呟いた。
「充分苦しんで来たんやから、もう自分を解放したらどうや」
店長の言葉に、森野さんは無表情の顔のまま
「何年経とうが、俺の罪は消えない」
その一言だけ残して歩き出した。
「帰るんか?」
気遣う店長の声に、森野さんは振り返らずに
「制服に着替えて来るだけです」
とだけ答えて階段を降りて行った。
店長はやれやれ……という顔をして私を見ると
「まぁ、今年はあいつが正常で居られたんは、柊ちゃんのお陰かな??」
そう言って微笑んだ。
言葉の意味が分からないで居ると
「今日な……、森野君の高校時代の彼女の命日やねん。」
店長はポツリと呟くと
「詳しい事は言えへんけど、森野君の目の前で交通事故で亡くなったらしいんや。
目撃者はたくさんおって、明らかに事故やったらしいけどな……。
目の前の恋人を助けられへんかった事を、16年間ずっと責めて生きてるんや。」
そう続けた。
「なんで……その話を私に?」
思わず疑問を口にすると
「俺の勘やけど、森野君を救えるのは柊ちゃんのような気がしてな」
『俺の勘は当たるんやで』って付け加えながら店長が笑った。
「亡くなった彼女かて、まるで自分を戒めるように指輪をはめて生きてるあいつを見たら悲しむで…」
ポツリと呟き、私の頭をポンポンって優しく叩いた。
森野さんの過去を少しだけ知り、心が傷んだ。
ずっと誰も受け入れず、誰も求めず1人で生きて来たんだろう。
だから、森野さんの瞳は何も映さないんだと知った。