ケータイ小説 野いちご

偏愛イデオロギー

第二編 フェロモン星人の逆襲
後編<楓>

それは何気ない休日の昼下がりだった。安樹と俺が二人で、いつものように駅前でショッピングをしている時、一つ気に留めたことがあった。

「あ」

 安樹がふいにショーウインドーの前で立ち止まったので、俺も数歩歩いてから戻ってくる。

「どうかした?」

 そこは有名ブランドではないけど珍しい輸入品を扱う店で、あまり高額なショッピングが好きじゃない安樹なら普段は通り過ぎてしまうところだった。

「何でもない。行こ、ミハル」

 安樹は俺の袖を引いて先に歩き出したけど、俺はさっきまで安樹の視線の先にあったものを目で捉えていた。

 それは琥珀と碧玉の宝石のついた綺麗な時計だった。文字盤は少し変わったレタリックだけど見やすく、チェーンの部分もアンティークのように細かい彫刻がされている。

 男女どちらでも付けられそうな作りで、女の子っぽいものを表立ってつけたがらない安樹でも好みそうだ。戻ってきて横目で安樹を窺うと、眉根を寄せて難しい顔をしていた。

「あすちゃん。あれ欲しいの?」

 二十五万は、確かに大学生の財布ではきついかもしれない。

「ち、違うよ。私に似合うわけないだろ」

「そんなことないと思うけど」

「今日はミハルのリボン見に来たんだから。ほら、忘れて」

 俺の肩をぽんぽんと叩いて、安樹は俺の手首を取る。

「わかった。行こっか」

 俺はさりげなくその手を恋人つなぎに直した。それに照れたように安樹は口元をむずむずさせながら、ぎゅっと握り返す。

 そうだな。忘れておこう。今はデートだから。

 来るイベントに贈るプレゼントの決まった瞬間だった。


***


 イベントが近いので、俺は割りのいいバイトを始めることにした。

「これ五番テーブルね。レオ」

「はい」

 銀座にあるホストクラブ、「Avalon」で、俺は父親の名前を借りて「レオ」として働いている。

 夜の仕事だから時給が高いし、最近部活で遅い安樹に隠れてバイトするにはもってこいだ。

「暇ですね。厨房の掃除でもしましょうか」

「いや、いいけど」

 早足で給仕を終えて戻ってくると、仕事仲間のホストが待っていた。

「レオ、やけに馴染んでるけど経験者?」

「え? 三日もすれば慣れますよ」

 先輩たちの言うことには、入ったばかりの奴はお客様の階層や店の備品の高さに気後れして緊張してしまうらしい。普通にしていれば平気だと思うのだが。

「レオ。オーナーが指名だ」

「……俺、ボーイなんですけどね」

 苦笑して俺は控え室を出る。向かう場所は聞かなくてもわかる。いつも同じの、ボックス席だ。

「失礼します」

 ノックをしてボックス席に入る。一礼して顔を上げると、そこにいる女性が妖艶に微笑むのがわかった。

「楓(かえで)さん」

 胸のかなり開いた煌めく黒いドレス。着る者を限定する派手な服も、年齢不詳の美貌と色気を持つ彼女が着ると妙にしっくりくる。

「遅いわよ、ミハル」

 栗色に染めた長い髪をかきあげて、楓さんは手招きした。

「バイト中なんですが」

「あたしが呼んだんだからいいのよ。オーナーの言うことが聞けない?」

 俺の顎を取って長い爪の先でなぞる。

「まさか。楓さんにはもうずっとお世話になってますからね。バイトも紹介して頂きましたし」

「ホストになればいいのに。あなたなら売れるわよ」

「俺には安樹以外に甘い言葉は囁けそうにありませんから」

 あっさりと答えると、楓さんは愉快そうに笑う。

「安樹ちゃんにばらしちゃおうかしら。絶対止めるわよ。『かわいい』ミハルにこんな世界でバイトさせるくらいなら自分がやるって」

「それは勘弁してください。安樹に関わらせる気なんてないんですから」

 かわいい安樹が男にでも目をつけられたらどうするのだ。考えただけでぞっとする。

「それなんだけど、ちょっと面白いことがわかったのよね。安樹ちゃんに関して」

「へぇ?」

 楓さんはにっと唇を引き上げて挑戦するように俺を見る。

「聞きたい?」

「そうですね。けど無理難題はふっかけないでくださいよ」

「あたしもタダでは動かないわ」

「でしょうね」

 俺の耳元に口を寄せて、彼女はそっと囁く。

「まあとりあえず、場所を移動しましょ。何か希望はある?」

 耳に指先が触れた。俺は首を傾けてすぐに返す。

「米が食べられればどこでも」

「米?」

「安樹がとにかく米が好きなので、いつの間にか俺もライス無しには生きられなくなりまして」

――みはるっ。やっぱりごはんがいちばんだねっ。

 おいしそうにご飯を頬張る安樹を思い出して、俺は自然と頬を緩ませる。

「ふふ」

 くすりと笑って、楓さんは俺の頭を撫でる。

「わかったわ。ライスにしましょ」

 その顔には母親のような優しさが浮かんでいて、俺もそっと笑い返した。

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