私が有名国立大学を卒業して一度就職したのにも関わらず、警察官になろうと思ったのには理由がある。

 だけど、その理由から目を背けたいから、頑張れた。

 元々勉強も運動も嫌いじゃなかったし。国家試験も警察学校も思うほどの苦はなかった。

 だけど、ようやくこの、配属先のドアの目の前に立って思う。

 あぁ、自分はあの事件のことがあんなにも嫌だったのだ。



「失礼します! き……」

 今日付けで配属になりました…と続けようと思ったが、みんなあまりにもだらけきっていて、言葉が一度途切れる。

 だが、気を取り直して。

「き、今日付けで配属になりました。三咲 愛生(みさき あおい)です! よろしくお願いします!!」

 深く一礼する。

「来たー! よろしくー、アオイちゃん」 

 スマホを見ていた茶髪の若い男性は、顔を上げて明るい声でにっこりと笑った。ノーネクタイに、はだけたワイシャツ、まくり上げた袖が随分若々しい。

 多分この人が多分桐谷 司(きりや つかさ)だ。

 少年時代、万引き、窃盗、を繰り返し、犯行は300件以上になる。繰り返すうちは一度も捕まらなかったが、彼が19の時、祖母が死んだことにより自ら自首。その手口や情報の多さから、特別に警察学校に潜らせ、この課に配属。現在23歳独身。

 ここは公安Q課3係、表には公表されていない裏部署だ。Q課は1から3係まであるが全て、機密扱いになっている。

 何故なら、管理者以外全員、一度前科をくらった警察官を臨時採用しているからだ。

 臨時、というところが味噌でいつでも切れるようになっているらしい。

「山本です、よろしく」

 窓の端で外を見ていた凛々しい中年の山本は、優しそうな笑顔を向け、デスクワークに戻る。この人は経歴のわりに大丈夫そうだ。

 年齢は53歳。10年前、10歳年下の妻と結婚。子供ができなかった結婚生活8年後、妻の誕生日の3日前に空き巣により妻がレイプされる。偶然帰宅した山本は現場を目撃し、犯人を殴り倒し、未だ意識不明の重体。

 しかし、後に離婚。

「相原です」

 唯一、デスクの椅子に腰かけながらも、文庫を読んでいた相原 叶(あいはら かなえ)は一度顔を上げただけで、再び本に向かう。長く黒い髪の毛はポニーテールで結び、黒のパンツスーツがより華奢と色白を目立たたせている。確かまだ20歳。

 18で高校を卒業し、警察学校に入学、卒業後は捜査一課を経て警視総監秘書、後にQ課へ。なんでも、高校生の頃から警視総監の愛人であり、捜査一課に行きたいという本人の希望をとりあえず叶えたところで我が者に。しかし、総監を殴るという暴行容疑で逮捕、後にQ課へ。

 どうしても……、その背中が可愛そうで仕方ない。

「あ、えっとぉ、嵯峨さんは……?」

 後1人。30歳の嵯峨 孝二(さが こうじ)、独身。3年前、暴力団潜入捜査中に同僚を刺殺未遂、その後Q課へ配属。

「いるよ。資料室だと思う。だいたいそこ」

 桐谷がすんなり答えてくれた。

 Q課は特殊な課で、世間に公表できない誘拐、詐欺、殺人などが起きた時くらいしか稼働しない。なので、資料室で寝ていても許されるのが実働の基本だろう。

「鏡 警部は……」

 それが私の直属の上司で、今日はいるはずだが……。

「あー、なんか言ってたけどな、忘れた」

 桐谷は笑いながらも、スマホを見ている。

「多分、お昼前には帰って来られると思います」

 相原は丁寧に答えてくれる。その、上品さと従順さを見ると警視総監が許せない存在になっていく。

「あ、ありがとうございます」

 鏡 信也(かがみ しんや)警部。言わずと知れたキャリアだが、前任の穴埋めとして自らここへ降りてきたらしい。その辺りの話は、局長がかなり口を濁したので、多分きっと一生聞くことはないんだろうと思う。

 そして、私、三咲 愛生が何故この課に配属されたのかは、完全なる人事であり全く知るすべはない。公安を希望したのはしたが、まさかQ課というものが存在することなど知らず、結局はどういう経緯があってもなかっても、配属された先で頑張るしかない。



『東都管内で立てこもり事件発生』 

 突然のアナウンスに心臓が痛いくらい鳴った。

 鏡はいない! じゃあ、えっと、まず……

「行くぞ!!!」

 男2人は勝手に走って出て行ってしまう。

「行きましょう」

 後からついて出た相原に促されるように走り、わけが分からないまま小雨が降る署外に出るとパトカーの助手席に乗り込んだ。 

「えっと、えっと……」

 とりあえずスマホを出す、と同時に、支給されている腕時計がピピピと音を立てて鳴り響いた。三咲のだけではない、相原のも鳴っている。

「液晶のONを押すと通話できます」

 腕時計は持っている者同士で通話できるようになっており、グループ通話も可能だ。

 一応説明も受けていたが、相原の説明通りONを押す。相手は、署を経由しての交番警官からだ。

 『薬物中毒の男性1名が女性1名を人質に取り、廃倉庫で立てこもり事件発生。男性は車を運転中、職質をはねのけ逃走した模様。男性を無傷で確保せよ』

 って一体どういう……。

「あの2人が嵯峨さんには連絡していると思います。鏡さんにも既に連絡がいっています」

 聞き終わる前に腕時計がピピピと鳴り、鏡から着信が入る。

「はい!!」

 ブルートゥースのイヤホンに切り替え、とりあえず大きな返事をした。

『どんな手順でいくつもりだ?』

「………」

 いや……みんな勝手に……。

『薬中の男は外務大臣の息子だ。無傷で拘束しろと命令が出ている』

「えっ……」

 し、指揮ったって……。みんな勝手に出て行ったし、どんな場所かも行ったことないのに……。

『場所の見取り図は全員にメールで配信した。2人がいるのはおそらく一番奥の休憩室だ』
 通話しながらスマホのメールを確認する。しかし、見取り図を見たからと言って、突破口をどこに絞れば良いのかも分からない。

「……」

 窓から突入するべきなのか、正直に入口から入るべきなのか。

『俺もすぐに向かう。善処しろ』

ったって………………。

 隣の相原にも、少しは電話の声が漏れていただろうが、眉1つ動かさない。

 そういう凛とした表情に警視総監は揺れたのかもしれないと無駄に考えてしまう。

「なんですか。じろじろと」

 ぴしゃりと言われ、我に返る。

 薬漬けの男が女性を人質に立てこもる。

 もう一度見取り図を確認。

 正面と、裏口から入り、奥の休憩室で合流、一斉に突入……それくらいしか思いつかない。



 到着するなり既に男2人は裏手に回った後だった。

「えー?! どうしよう……」

 ということは、私達残りは2人で正面玄関から……。

「正面玄関は封鎖されています」

と、路上で犯人に職質をかけ、逃走後追いかけて来ていた交番警官が状況を説明した。

「2人は裏口から入ったんですよね?」

「だと、思います。裏口が早いって言いながら走ってったんで……」

 バン!!!

 銃声が聞こえた。

 いきなりどうなってるのよー!!!

 不安な状況を分かってもらおうと相原を見たが、相原は既に正面玄関の隣のぶち敗れた窓ガラスから身を乗り込もうとしているところだった。

「ま、待って!!!」

 慌ててついて行く。

 中は昼間なのにも関わらず明かりを通さず、しかも貨物船用の荷物がたくさん並んでいて障害物が多く見えづらいのでペンライトを出して小走りに近づいていく。

 さっきの見取り図を頭の中で展開させ、拳銃を手に握っておく。

 大きな倉庫の端だけドアがついた部屋があった。

 一気に休憩室の前まで走ったところで、ふっと相原が物影に隠れて消えた。目が慣れてきたのでライトを消しても少し見えるようになっている。二手に分かれる合図だと勝手に捉え、薄暗い中真っ直ぐ乗り込んで行く。

 微かに人の気配がする。

 荒い息遣いが段々聞こえる。

 休憩室のドアは完全に開いている。

 その中に人がいる。