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春にはなれない僕たちは、星を解かして影をつくる

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PM 9:39


人の少ない車内は落ち着かなくて、ドア付近の手すりにつかまって立っていた。星屑の海のように煌々と点いている電気が流れていくのを見ながら、予感は当たるのではないかという妙な確信があった。
いつもよりも早い鼓動に、足踏みする。
アナウンスが流れて、扉が開く。人も疎らにキンと冷えた空気に、ほんの少し身震いした。いつかぶりに降り立った駅の改札を抜け、公園を抜けて玲の住むアパートへつま先を向けた。
あたりには昨日の雪が残っていて、結衣の言った通り雪が降り始めていた。
チラチラとくすんだ空が真っ白い無垢を降らす。
マフラーで鼻まで覆い、ガサガサと夜道に響くのはわたしのパンプスの音とスーパーの袋だけ。
仕事を終えてとりあえず向かったのは深夜まで営業しているスーパーマーケットだった。
ろくに食べていないことを考慮して、半額シールの貼られていた惣菜を片っ端から買い物カゴの中に入れた。
おそらく冷蔵庫の中身はいっぱいだし、必要なものは揃っているだろうけど、もし仮にあの時と同じような状況にあったらとりあえず必要なものは「すぐに食べられるもの」なのだ。

買い込むことはできても、それをどうにかしようという気までは起きないのだと、いつか言っていた。


ぼんやりと道を照らす街灯を頼りに、玲のアパートが見えてきた。
コンクリートの階段を上がり、一番奥の部屋の前に立つ。
彼氏の部屋をただ訪ねてきただけなのに、さっきから心臓は忙しなく動いている。
大きく息を吸い込んだ。

結局退勤しても、スーパーを出た後も、電車に乗り込んだ時にも携帯を確認したけれど、既読の文字はついていなかった。
電話することも考えたけれど、どうしてもそれだけはできなくて、ならばいっそ行ってしまおうと勢いだけでここまできた。

でも、もしまた部屋の中が服でいっぱいになっていたらどうしよう。
それはそれでわかりやすく彼の心の健康状態がわかるからいいとして。
もし、また別の話があるとしたら……?


ここは腹を括って、玲の生存確認が先だ。
吸い込んだ息をすべて吐き出して、インターホンを押そうと手を伸ばす。

すると、突然ドアが勢いよく開いた。
危うく鼻の頭が擦れるところだった。
口から出かけた心臓を押し戻して、出てきた部屋の主に暴言のひとつでも吐こうと思ったのだが、黒のタートルネックに黒のズボンと、全身真っ黒に身を包んだ玲に言葉を失った。

多少頬はこけている印象だが、顔色は悪くない。
目の下にクマはあるけれどコンシーラーで隠されていないし、変な化粧も施されていない。
玲の向こうに見えた部屋の床には衣類は落ちていなかった。
ひとまず安心して、家主を見上げると、玲はニコニコと笑顔だった。


「やっぱり、朱里だ」


まるでわたしが来ることを知っていたみたいだった。
なんでもなかったようにふにゃりと笑うものだから、少しムッとする。


「ねえ、私連絡入れたんだけど」

「ごめん、昨日充電するの忘れてそのまま携帯置いて家出ちゃった」


どうやらこの言葉は本当らしい。


「今日結衣が朝玲のこと見かけて、元気がなさそうだって言ってたから」

「朝起きたら携帯の画面が真っ暗で落ち込んでたのと、今日もっと早めに出勤しなきゃいけなかったのに寝坊したから焦ってたんだ」


これもどうやら本当らしい。
でも。


「ねえ、それよりさ、ちょっと出ない?」

「え?」

「そと! 散歩に行こう! 月綺麗だし、ね?」


はぐらかされた、と思った。月なんて出ていないのに突拍子もないことを言うと、玲はわたしから荷物を受け取り玄関に置いた。
こっちは毎日あった朝の連絡が突然途切れたものだから、仕事に身が入らないくらい動揺してたというのに、このあっけらかんとした様子。

これだけ人をやきもきさせて置いて、なんの言い訳すらもしないのかと睨みつけるけれど、玲は全く気にしていない。


「ほら、行こう」


でもこのやけに明るい雰囲気の裏側に、隠している感情があるのは察した。
鍵まできちんとかけると、状況をまだ読み込めていないわたしの手を取り、歩き出した。
ズンズン大股で歩いていく玲についていくのは大変で、半分小走り状態。

手袋越しに玲の素手を握るととても冷えていた。
四年前のことを思い出してまた、胸がさわさわと音を立てる。


「玲、手が冷たい」

「朱里のはあったかいね」

「手袋貸そうか?」

「僕の手は大きくて入らないよ。気持ちだけでいいよ。あ、それとも嫌?」

「それは構わないけど」

「ん、ならよかった」


玲はさらに私の手を強く握り、ずんずん進んで行く。
隣に立ってもうひとつ分かったことだが、玲は手だけでなく耳も冷えているようで真っ赤になっていた。
もしかすると、玲もさっき帰ってきたばかりなのかもしれない。
そしたら家に忘れたという携帯を確認したのも今で、連絡しようとしてくれていたかもしれないのに。少し問い詰める感じになってしまったのを反省した。


「玲、もしかしてさっき帰って来たばっかり?」

「どうして?」

「手も冷たいのに、耳も赤いから」

「耳赤い? あー、どうりで寒いわけだね」

「マフラー貸そうか?」

「え、あ、いいよ。フードかぶっておけば問題ないっしょ」


玲は右手で自分の頭にフードをかぶせた。
真っ黒なフードのせいで、玲が今どんな顔をしているのかが全くもってわからない。
そのくせ歩調が緩まることはないから、何かに急いでいるのはわかる。

それを今すぐは教えてくれる気がないようで、私たちは雪で白い道を無言のままで歩いていた。
しばらく歩くと、私が先ほど通り抜けた公園が見えてきた。
玲は公園立つ街灯を見つけると、漸く歩調を緩めた。

私は半分走っているようなものだったから、運動不足が祟って若干息切れしいる。
それに気づかれないように、静かに呼吸を整えた。
街灯の明かりのせいで、天上から降ってくる雪が光の幻影を作り出していた。


「綺麗だ」


ちらちら、ちらちら、旋毛や睫毛、鼻の頭に落ちてくる暗闇の結晶に、玲は目を細めた。
しゃくり、しゃくりと音を立てて二人の足跡がどんどん後ろにできていく。
虫も何も鳴かない冬の夜は本当に静寂に満ちていて、世界に二人だけのように感じた。

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