体調が悪いときはさすがに儀式は休まされた。
気遣われたわけではなく、〝美代様〟が人間のようだと思われると都合が悪いからだ。
神様が体調を崩していることに、疑問に思う信者もいるだろうから。

その休みが明けて久しぶりの儀式だった。
以前と同じように信者たちに囲まれ、頭が狂いそうな羞恥をやりすごして上半身を晒し、オリジナルお経の合唱を聞きながら警策で叩かれる。
傷は完治したわけではないから、叩かれればそれは痛い。
折檻の傷が残っているのを目の当たりにしているだろうに、私を崇拝しているはずの信者たちは顔色すら変えない。
どうせ父親が、〝美代様が皆の代わりに俗世の穢れを被ってくださった〟とでも伝えているのだろう。死ねばいいのに。

頭を垂れる前、あの青年と目が合った。
律――暗闇でも美しい瞳が、驚きに見開かれている。

ああ、この傷のことか。そうだな、お前の父親のせいだ。

考えはするが、言う術もなければ言おうとも思わない。

警策で肉が叩かれる音を聞きながら、私は目を閉じた。
次に目を開けたときには、みんな死んでいたらいいのに。そうだな、彼以外は――。





「……何しに来た」

なにも救わない無意味だなだけの儀式が終わり、そろそろ一時間が経つ。
多くの信者たちは家の祭壇で引き続き祈るために帰路につき、幹部や関係者はまだ残っている時分だ。
儀式のあとは、ほぼ誰も私には近づいてこない。そもそも、世話役と父母、祖母が接触できるだけであって、ほかの人間は私が生活している〝聖域〟にはまず足を踏み入れることはない。
そもそも私との接見は許可なくては固く禁じられているし、敬虔な信者であればあるほど神に不敬は働けないと領域を侵すことはない。

だというのに、今日は訪問者があった。
時刻は午後三時過ぎ。
既に床に入って休んでいた私の部屋の外――縁側で、彼はそっと私に呼び掛けたのだ。
「起きてる?」と。
起きてるわけないだろうが寝てるわと答えたが、起きてるじゃんと嬉しそうに笑って遠慮なく襖を開けて侵入してきた。世間一般のルールには詳しくないが、これは私が神様ではなくてもアウトではないだろうか。不法侵入である。

この時間にこの場所に悪びれる様子もなく侵入してくるとは、彼は私のことなど〝神様〟だなんて微塵も思っていないらしい。

まあ、そうだろう――律とやら。


「あんたに会いにきたんだ」

こなくていい。帰れ。私は疲れている。
私が横になっている布団の傍らで、律は胡坐を掻いて思いつく端からお喋りを始めた。

「親父が言いふらしてるから、きっとあんたを管理してるやつらにこの前のことが遅かれ早かればれるだろうなって思ってたんだ。案の定、叩かれた痕が、両肩だけじゃなくて背中側にもあった。邪払いの儀式以外でやられたんだろ。この前のが原因か?あんたに引き合わせてくれた女は?」

この飛びぬけて清らかそうな容姿から〝親父〟という単語が出てきた時の破壊力はなかなかだ。
椿のことまで気にしているのか。
それに、観察眼も申し分ないな。
何に対して申し分ないのかわからないが。

「椿のことは、私も少し気にかかっていた。特に処罰はなく、庭から出ていくと言っていた。私にここまでしでかす者達が、果たしてそれだけで椿を許すかわからん。お前、丁度いいから、彼女の動向を探ってくれないか?彼女には、大切なご両親がいるのだ。彼らにまで私の庭の者が迷惑を掛けていないかが気になる」

傷が痛いので俯せで寝ていたのだが、彼と話すために俯せのまま上半身だけ起こしていた。
が、彼が思ったよりも近くに座っているので、今はもう完全に体を起こして正座して話している。
この前も思ったが、距離が近いな。お前達親子は一体何なんだ。

それとも私が、人に近づかれることに慣れていないからだろうか。

「椿?苗字はわかんねーの」
「〝美代〟付きの椿だと言えば、すぐわかると思う」

律はわかった、と頷いた。
頼まれてくれるのか?

「……頼んでいおいてなんだが、そんなに安請け合いしていいのか?お前も怪しまれるのではないか?」

とはいえ、彼は新参者なので、目に余る行為も多少は大目に見てもらえるかもしれない。
この〝庭〟は、使える新参者には優しいのだ。

「これくらいなら訳ないかな。幹部の何人かとも連絡先交換してるし、その中に俺に興味ありまくりなオバチャンもいたから、ちょっと探り入れりゃどうにかなるだろ」

まだ入って数か月だろうに、もう幹部と関係があるのか。
もしかしたら、私なんかよりよほど〝庭〟の事情には精通しているかもしれない。

「それで、本題なんだけど」

まだあるのか。

「あんたはなんでこんなところでそんな姿で、〝神様〟なんてしてんの?逃げれば?しんどくない?」

それができれば私も苦労しないのだが。

「逃げはしない。というか、逃げれないし、逃げたとしても、外の世界で生きていけるとも思わない」

中学校を卒業してから、この小さな庭の中で囲われてからもう何年になるだろう。
誕生日は祝われることがなくなったし、日付や時間がわかるものは置かれていないので、今が西暦何年で、今が何月の何日なのかもわからないのだ。
中学卒業時、担任の教師は私の進路に口出しすることはなかった。
親からの手回しがあったのだろうと容易に想像がついて、他を考える余裕もなかった。
もしかしたら、あの時、前教祖が死ななければ、私は普通に進学して、新興宗教の二世代目として生きていたのかもしれない。

そうなった未来では、今より自由はあっただろうか――。
それすらもわからない人間が、今、社会に出てどう生きれるというのだろう。

律は困ったような顔をした。
そんな顔をすると、とても幼く見える。
さっき彼が言った、〝俺に興味がありまくりなオバチャン〟がいるのも納得してしまう。

「やっちゃえばどうとでもなるよ」

困った顔でそう言われたら、私も困ってしまう。
どうとでもならないから、私はこんなところでこんな腐ったことをしているのである。


「……俺さ、十歳の時に母親亡くしてからあの父親と暮らしてんだけど、あいつ、ちょっとどうしようもないクズっていうか、いや、昔はもっとましだったんだけど、母さんが亡くなってからちょっとおかしくなっちゃってさ、俺ネグレクトされてたんだよね。あ、ネグレクトってわかんないかな。育児放棄って意味なんだけど。でさ、俺こんな見た目だから、結構助けてくれる人多くてさ。そんな中でも俺みたいな子供に対して見返り求めてくる奴って一定数いて、俺まだ小学生だったんだけど、体売ってたの」

けろりと激白されてしまった。
私は、特殊な幼少時代と他人とは隔絶されている生活を送ってきたので、知識がだいぶ偏ったまま生きてきた。
祖父のところにいたころも、テレビや本、雑誌の類はすべて禁止されていたので、きっと知らないことがたくさんあるだろう。
だから、彼の境遇など想像もしたことがなかった。

「身体を売るとは……」

それは肉体労働的なあれだろうか。

「女と寝るんだよー。寝てね、お金貰うの。あと寒くなくて汚くなくて、綺麗な寝床も貸してもらえるから、結構よかったよ。お風呂にも入れたし」

なんだ、寝るだけか。
異性を布団で眠ることを、体を売るというのだろうか。

「でね、なんかそういう生き方してると、そういう人間が寄ってきちゃうんだよね。だから、俺は自分の体を使って生きてきたよ。さすがにあんたにそんな生き方しろとは言えないし、見た目がちょっとあれだから需要もないかもだけど、俺が言いたいのはさ、生きようと思えばいくらでも方法あるよってこと」

なるほど、彼なりに励ましてくれているのだということは解った。

「悪いが、私は生きようとは思っていない」

叶うなら、今この時にでも死にたいと思っているのだ。

「折角話をしてくれたのに、申し訳ないが」

あわよくば、彼が私を殺してくれないだろうか、とも思っている。

なんかごめん。