私が本物の神様ならきっと“悪いもの”になっているな、とこの頃よく思う。
なまじ小学校中学校に通わせたせいで、最低限の常識を身につけてしまった。
小学校を上がるまでに身に付けた親から教えてもらった“常識”は、私の家と“あにさまあねさま”にだけ適用するものだと、九年間で自分を犠牲にして知った。

私の場合、祖父がまともな人だった。
それはもう、私の周りにいるような大人と比べたら、だいぶまともな人だったように思う。
酒飲みで酒乱だったが、酒が抜ければまともな人だった。
その酒癖のせいで祖母が追い詰められ、我が宗教にはまってしまったとしても。

祖母から宗教の男を紹介された母は、完全なる宗教人間として結婚した。
そして産まれたのが私である。

祖父は、私に施される、世間一般から大幅に外れる異常な教育を目の当たりにして恐れおののいたらしい。
孫を救わねばと言う使命感から、私を親元から誘拐し、半年間、手元で育てた。
その頃には祖母とは別居中だったので、私と祖父だけでの生活だ。

目まぐるしい日々だった。
初めて食べた中では焼き鳥が一番美味しかった。
誕生日には、生クリームとチョコレートのケーキを買ってくれて、蝋燭を灯してくれた。

宗門の誕生日はなにかをする日ではない。なんでもない日なのだ。データとして、今日が誕生日、というだけの日。
自然に産まれ落ちた人間が神様のように誕生をお祝いするなどおかしなこと、と教えられた。

蝋燭の火を消すときに願い事をして一回で消せ、と言われたとき、何故か、涙が出た。
祖父がそう言ってくれてるのに、私にはお願い事をする、という行為の意味がわからなかったからだ。
どうしたらいいかわからなくて、とりあえずおじいちゃんが長生きしますように、とお願いしておいた。
吹いた息で火を消す、というのは初めての行為だった。
うまくできるはずもなく、ほんの数本の蝋燭だったが、火は一回では消えなかった。

そのせいか、祖父は長生きはしなかった。
心労が原因だった。逝ってしまった祖父の葬式に出ることも叶わず、私は引き戻された実家で、長い長い「お清め」を受けることになった。

腹にいれた俗世のものを吐き出しなさいと、お腹を殴られたり下剤をのまされたりした。
全身を固いブラシで擦られた。俗世の空気に染まって体がどす黒く見えると祖母に言われた。真っ黒なのはお前の腹の中だ、と悪態を思い付く程度には、この頃の私は彼らの言う“俗世”にまみれていた。

祖父のしたことがよかったのか悪かったのか、私にはわからない。
この宗教に洗脳され、世間から白い目で見られながら生きていくのと、世間一般の常識を持って常に違和感を抱きながらこの宗門に籍を置き続けるの、どちらがよかっただろう。
既に“普通”を植え付けられた身として、この先このおかしな世界で生きていくのは骨が折れそうだな、と思う。

盛られた塩と水を前に、考える。
このご飯が普通だと思えるなら、常識なんてなくてよかったのかもしれない。

ケーキが食べたい。生クリームとチョコレートのやつ。
焼き鳥も食べたい。
祖父と二人で、縁側で食べた、たれのついたやつ。

じいちゃん、私は神様じゃないよね。
でも私の世界で、そう言ってくれる人はいなくなっちゃったよ。