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リルは普段、宿屋の外にしつらえてもらった犬小屋の中にいる。風の当たらない建物と建物の間にちょこんと収まっているのだ。太陽が照っているときは、花壇の脇まで出て日向ぼっこをする。
通りすがる街の人は、リルを見るとみな一様に笑顔になる。嬉しくてリルはいつも尻尾を振った。

優しい街の人が、大好き。
面倒を見てくれるご主人も大好き。
そよぐ風も温泉の匂いも、リルはみんな好きだった。

『リル、母さん仕事終わったかな』

夕方、よくやって来てリルに声をかけるのは十一歳のレイモンドだ。そういって店の中に入り、すぐに戻ってきて、リルを綱から外してくれる。

『旦那が、リルの散歩行ってきてもいいって。それが終わったら母さんとおかえりって』

レイモンドの家は、父親が早くに亡くなっていていない。
母一人子一人の暮らしで、ふたりは仲が良かった。
仕事が忙しい母のために、レイモンドは小さな時から料理を学んで家のことは全部できるようになっていたし、母親は母親で、一日中働いた後でも決して笑顔を絶やさなかった。

『リル。母さん、もしかしたら結婚するのかも』

レイモンドはリル相手にぽつりぽつりと心情を漏らす。

宿屋の店主であるアラン=ネルソンが、母親に求婚しているのだそうだ。
先日指輪を贈られた母親は、それを毎日大切そうに眺めながらも、指にはめることはせず、鎖を付けてネックレスとして持ち歩いているのだという。