思いのほか、アレクサンドラの傷の治りは早く、ライラは秘伝の薬湯が効いたと喜んでいたが、ジャスティーヌから見ると、あの薬湯を飲みたくないばかりにアレクサンドラが無理をしているようにも見えた。
 毎日のようにアレクサンドラのところにはアントニウスからの手紙が届いた。もちろん、アレクサンドラ宛ではなく、アレクシス宛だが、時々、気が向いたかのようにアレクサンドラ宛に丁寧な謝りと花束が贈られてきていた。
 あまりの手紙や花束の多さに家族が訝しむほどだったが、アレクサンドラがろくに返事を書かないこともあり、家族は誰一人アレクサンドラの秘密をアントニウスが知っているなどと思ってもいなかった。

 ジャスティーヌの見合いの日が近づき、アレクサンドラはアントニウスが漏らしたロベルトの愛する女性の話が気になって仕方がなかったが、アントニウスの手紙はアレクサンドラに元気になったら屋敷に遊びに来るようにと催促するばかりで、一切、証拠となりそうな言葉もニュアンスも手紙には書かれていなかった。しかし、アレクサンドラとしても、動けないのをよいことに、寝台に迫り、いきなり口づけるような男の屋敷にホイホイと出かけていくつもりはなく、ありとあらゆる誘いの手紙には、すべて『まだ傷が痛みますので、外出は控えております』と書いて返すだけだった。

 ジャスティーヌの部屋から楽し気なジャスティーヌの声が聞こえてきたので、アレクサンドラはカウチからゆっくり起き上がると、続きの扉を開けてアレクサンドラはジャスティーヌの部屋へと足を踏み入れた。
「アレク! これでいいかしら?」
 アレクサンドラの気配に、ジャスティーヌが声をかけてきた。
 ジャスティーヌは見合いのために新しく仕立てた可憐で優しいピンクのバラの花を思わせるドレスに身を包んでいた。
「とってもよく似合ってるよジャスティーヌ。僕が男だったら、絶対にプロポーズする」
 アレクサンドラがいつものように言うと、ジャスティーヌが花が綻ぶような笑みを返した。
「アレク、あなたが男だったら、もちろん答えはイエスよ」
 ジャスティーヌが答えると、ライラが咳ばらいをした。
「お嬢様方、少しはお慎みくださいませ。どちらがどちらを褒めても、お嬢様方の場合瓜二つなのですから、どう聞いても自我自賛にしか聞こえませんから」
 まじめなライラの言葉に、今度は二人がそろって笑みを浮かべた。
「お嬢様方が二人そろって舞踏会に出席なさったら、もう殿方の目は釘付け間違いなしでございますよ」
 ライラに手放しでほめられると、アレクサンドラは妙にくすぐったくて仕方がなかった。
 男装を始めてからというもの、ライラは助けを借りずに着替えを一人で済ますアレクサンドラに嘆くばかりで、体の線が出る男装を見るたびに非難の瞳と嘆きの瞳を交互に浮かべてアレクサンドラを見つめることが多く、こうして二人がドレスを着て舞踏会に出席するかもしれないなどということは、この十年以上考えたことすらなかったに違いなかった。
「まあ、僕があの拷問道具に慣れる事ができればだけどね」
 アレクサンドラが言うと、ライラはにっこりと笑って見せた。
「大丈夫でございます、お嬢様。このライラが、お嬢様を立派なレディにお育てなおして差し上げます」
 アレクサンドラは少し顔をひきつらせながら、笑い返した。
「お手柔らかに、ライラ。いざとなったら、僕には修道院に行く覚悟もできてるから」
 口にしては見たものの、アントニウスに釘を刺されている以上、勝手に修道院に行くこともできないし、ましてや、家族のために命を投げ出すことすらできないことが、アレクサンドラにとっては、もどかしくてたまらなかった。
「そうだ、アレク。明日の晩、ロッテンマイヤー伯爵家の舞踏会があって、そこに及ばれしているんだけど、アレク、エスコートをお願いできる?」
「ああ、もちろん大丈夫。ということは、ロッテンマイヤー伯爵家の舞踏会が、このアレクシスの復帰第一夜ってことになるわけか」
「そうね。お見合いはアレクの復活を待ってからってことになったから、アレクが元気な姿を舞踏会で見せれば、再びお見合いも再開ってことになるわ」
「なんだか、ジャスティーヌ気がのらないみたいだね?」
「そういうわけじゃないの。でも、これからもずっと、一人二役は苦しいなって。自分でも、自分が自分なのか、あなたなのか、わけがわからなくなっちゃうの。一生懸命、声を下げなくちゃとか、考えるんだけど、なんだか途中で訳が分からなくなっちゃうの」
 困惑するジャスティーヌに、アレクサンドラは一日も早く、自分がアレクサンドラとして見合いをすることが、一番正しいことなのだと、アレクサンドは自分にそう言い聞かせた。
「そうだね、僕も頑張って、自分でお見合いをできるように努力するよ。でもその代わり、ジャスティーヌはことあるごとに、僕は密着されたり、積極的にされたりするのは嫌だと、ちゃんと意思表示だけはしておいてくれないと困るよ。そうでないと、僕なら絶対に平手打ちとかかましちゃうからね」
 アレクサンドラの言葉に、ライラとジャスティーヌが大きなため息をついた。
 レディが殿方に手を挙げるなどという発想ができるのは、アレクサンドラが男の心のままであるからで、レディであれば、突然のキスに泣き出したり、失神したりはあっても、平手打ちはあり得ない。
「わかってるよ。考え方もレティにならないといけないっていうんでしょ。でも、右から左にはいかないよ」
 アレクサンドラは強がって言ってみたものの、自分だって突然のアントニウスからの口づけに平手打ちどころか、素直に受け入れる事しかできなかったことを自分がやはり女なのだと、痛いほどに感じさせられたことを忘れてはいなかった。
 どんなに男の格好をしようとも、本当の男を相手にしたら、素手ではかなわない。サーベルや銃での決闘なら、アレクサンドラにも勝ち目はあるが、とても素手ではかなわない。そう、身をもって思い知らされた相手がアントニウスだった。
「じゃあ、僕も衣装を見繕ってくるよ」
 アレクサンドラは言うと、ジャスティーヌの部屋を後にした。

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