ケータイ小説 野いちご

あなたの中の愛しい人

第2章 オオキスギルキモチ



 中学時代からの親友の梨子には、永井さんのことを全て話していた。もちろん、永井さんが突然辞めたことも、辞めた次の日に話した。どうしても聞いてほしいと頼み込んで、梨子の仕事が終わると落ち合った。

「でもさ、気になる人がいるって言っただけでしょ?」

「気になる年上の女性、だよ? もう特別な人だって言ってるようなもんだよ」

「付き合ってるなら別だよ。永井さんは気になる人がいるって言っただけじゃん。そこで諦めるか諦めないかは、千晴次第でしょ」

 永井さんとは六つも歳が離れているから、永井さんが言う「気になる年上の女性」は、私のような子どもが首を突っ込んではいけない世界のように思えた。ちゃんとした恋愛経験もなく、しかもまだ学生では相手にしてもらえない。よくよく考えれば、私のことを好きかもしれないなんて本当に恥ずかしすぎる勘違いだ。顔から火が出るとは、こういうことを言うのだと理解した。

「やめときなって。どうせそんな男、いいように使われておしまいだから」

 梨子にそう言われると「永井さんのことなんか何一つ知らないくせに」と反発したくなった。だが、ぐっと堪えた。私だって、永井さんの何を知っていると言うのだ。何も知らないじゃないか。バイト先にいつもいる、優しくて面白くて頼りになる永井さん以外の顔を、私は知らないじゃないか。それは誰にでも向ける、普通バージョンの永井さんの顔ではないだろうか。気になる人には、どんな顔で話しかけるのだろう。ふとしたとき、永井さんは少しでも私のことを思い出してくれるだろうか。いいや、きっと気になる人には負けている。

「ちょっと、あんた大丈夫?」

 いろんなことを考えすぎて、梨子の話しを無意識に遮断していた。呆れた顔で私を見ている。

「ごめん。頭冷やした方がいいみたい」

 こんな感情、きっと一時的なものだ。すぐ永井さんのことなんて忘れる。今まで好きになった人と同じように、すぐ飽きるに決まっている。

 でも、今回はなぜかそうならなかった。

 いつもの私は、秘密の恋というものに恋していた。秘密の恋とは、「好きな人はいる?」と聞かれたとき、本当はいるのにわざと「いないよ」と答えることだ。誰も知らない、私だけしか知らない、そういう一人だけの秘密が好きだった。実際、そんなもの秘密でもなんでもない。

 魔法を解くためには、友達に全部打ち明けるのが一番だ。一人で足りないなら、周りにいる友達全員に話して回るのがいい。すると、すぐに「何で私はあの人が好きだと思っていたんだろう」と正気に戻ることができる。だから今回も、早く正気に戻りたくて大学の友達や同じ講義を取っている子、中学、高校の友達に触れ回った。何人もの人に話した。ありえないくらいの人数に秘密を打ち明けた。しかし、誰かに話す度「気になる年上の女性」という言葉が頭の中を巡り、そして落ち込んでいった。「最近好きな人とはどう?」とみんなから聞かれるようになり、はじめて恋愛で応援される体験をした。永井さんから連絡が来る度喜び友達に話し、メールが返って来なくなっただけでブルーになりまた友達に話した。電話がかかって来たときは、もうそれだけで嫌なことを全て忘れられた。数日は電話がかかって来た喜びに浸り、嫌なことがあるとそれを思い出し自分を励ました。

 永井さんから連絡があれば私はすぐに返信したし、どんな状況でも電話に出た。夜中に電話がかかってこようとも、「今寝ようと思ってたところ」と眠い目を擦って話をした。でも本音を言えば、もう連絡してほしくなかった。永井さんと話ができた嬉しさと同時に、いつも頭の中は気になる人の存在がチラついていて、どうしようもなく落ち込むからだ。どうせ叶わない恋なのだから、変な期待をさせないでほしかった。

 しかし昨日、永井さんから連絡があった。ちょうど友達とお弁当を食べながら楽しく話をしていたときで、ぶるぶる震える携帯に私は驚いた。画面に表示された“永井大貴”の文字に、しばらく出られず固まった。

「もしもし?」

「今、電話大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 永井さんと話したのは確か二週間ほど前のことで、声を聞くのは久々に感じた。嬉しさで顔がにやける。

「今日って暇かな?」

 あまりにも簡単な一言が、私にはなかなか理解できず「え?」と戸惑ったまましばらく沈黙した。

「バイトある?」

「え、いいえ! ないです!」

「お友達と遊ぶ予定があるとか?」

「いいえ、暇です!」

 友達はみんな笑っていた。そのときの必死さといったら、今でも思い出すだけで恥ずかしくなる。

「じゃあ、今日ご飯食べに行かない?」

「い、行きます! 行かせてください!」

 ついに友達の一人が声をあげで大爆笑し始めた。電話越しの永井さんにも聞こえるくらいの大きさだった。

 楽しみで仕方がなくて、午後の講義には全く身が入らないくらいわくわくしていたのだが、それがボロボロのお食事会になるなんて考えてもみなかった。

 永井さんは車で私を迎えに来てくれた。助手席に座り、なんだか少し複雑な気分になった。彼女でもないのに、助手席に座るのが不自然に感じたのだ。多分そう感じたのは私だけで、永井さんは全く気にしていない。この助手席に、どれだけの女の人が座ったのだろう。気になる人も、もうすでに座った後かもしれない。

「ここでもいい?」

 と車を止めたのは、洋風レストランだった。

「はい」

 永井さんとならどこへでも、と心の中で付け加え言った。

 平日の夜ということもあってか、客はあまりいなかった。

「何で今日誘ってくれたんですか?」

 ウエイトレスが水とお手拭きとメニューを置いて行った後に、すぐそう聞いた。どうしても聞きたかったのだ。その質問が永井さんをどんなに困らせるものだとしても。

「今日は休みなんだけど、何の予定も入ってなくて。ちょっと買い物してぶらぶらしてたら、上松ちゃんの顔が浮かんで」

「それでですか?」

「うん、そういうこと」

 正直嬉しかった。永井さんの中で私の顔が浮かんでくれたことがものすごく嬉しくて、泣きそうになった。でももしここで泣いたら、永井さんはびっくりする。私は鼻をすすって涙を引っ込めた。

「今日はバイトじゃないんだね」

「本当は今日、遅くまで講義があったんですけど休講になったんです」

 ラッキーだった。むしろ運命を感じた。今日バイトを入れなかったことも、休校になったことも、永井さんに予定がなかったことも、私の顔が浮かんだことも、全部運命だと信じたかった。

 私はデミグラスソースのオムライスを、永井さんはミートソースのスパゲティを注文した。運ばれてきた料理を見て、永井さんは嬉しそうな顔をした。オムライスを遠慮がちに、少しだけスプーンですくって口に入れると、なんだか懐かしい味がした。小さい頃に、家族と食べたような気がした。

 永井さんは最近の出来事について話してくれた。でも、やっぱり私のいるバイト先が恋しいと言った。私も最近の出来事や、バイト先での失敗談をした。

「みんな相変わらず元気にやってるみたいだね」

「元気ですよ。あ、そうだ。宮本さんが今度結婚するんです」

「宮本さんが? 彼女と喧嘩してずっと口きいてないって言ってなかった?」

 宮本さん、三十歳。バイト先で料理を担当していて、優しくてちょっと頼りない。彼女と喧嘩していたというより、彼女に一方的に拒まれていた人だ。

「最近仲直りして、ついにプロポーズしたみたいですよ」

「ついに、だね。付き合って何年だっけ? 五年?」

「そうです。長いですよね」

「宮本さんがプロポーズ……。ちょっと想像しにくいね。何て言ったんだろう」

 永井さんは笑った。

 宮本さんは、彼女のことが大好きだった。一度だけ彼女を見たことがあったが、完全に尻に敷かれていた。どんどん一人で先に進む彼女のあとを追いかける宮本さんの姿を想像した。簡単だった。

「でも、宮本さんには今の彼女みたいな、ちょっと気が強くてしっかりした人の方が合うんじゃないですか? 宮本さんはそれについて行きそう」

「確かにそうだよね。宮本さんは何しても怒らないもんね」

 永井さんはどんな人がタイプなんだろう。気になる人はどんな人なんだろう。考えれば考えるほど、別の話題を振ることができなかった。気まずくなってオムライスを口いっぱいに詰め込んだ。

「俺も、結婚とか考えないといけないかな」

 スプーンを運ぶ手を止めた。口の中のものを急いで飲み込む。

「気になる年上の女性が……いるんじゃなかったですか?」

 私は意を決して、ついに訊いてしまった。どんなに私の顔が浮かんだって、永井さんの中で私が恋愛対象になることはない。

「いるよ」

 永井さんの方を見ずに、グラスを持ち、飲みたくないのに水を飲んだ。

 しかし「いるよ」の続きはなかった。静かに次の言葉を待つが、どれだけ待っても「気になる年上の女性がいる」から先はない。進展しているのか、それともうまくいっていないのか。なんとなくだが、うまくいっていないように思えた。うまくいってほしくないという願望はあったのだが、もしうまくいっているとしたら、私を誘って出かけたりしない。気になる女性を誘う。

 そうわかっていても「うまくいってないんですか?」とはどうしても聞けなかった。私のことを好きだと勘違いしていたのと同じで、もしうまくいっていると嘘でも言われたら、私は立ち直ることができない。一度引き裂かれてバラバラになったハートを繋いで、ようやく元の形になったところなのに、もう一度引きちぎるようなものだ。

「ですよね」

 私の気持ちに気づいてほしい。でも、気づいたらきっと永井さんは困る。私を傷つけないようにきっと悩むと思う。だから、今だけは永井さんには気がないふりをしなければならなかった。

「本当の自分でいられる人がいいよね。素直でいたいし、素直な相手を好きでいたいし」

 なにが永井さんの壁になっているのだろう。気になる女性とは、素の自分でいられないのだろうか。だから今一つ、前進できないでいるのか。永井さんの理想とは違う、気になる女性。もしかしたら、相手は永井さんに全く好意がなく、先に進めないでいるのかもしれない。それとも、もっと別のなにか。もっと永井さんの心の奥深くにあるなにか。



 もし、永井さんに忘れられない人がいるとしたら。



気になる女性を越える、忘れられない人。もしかしたら、片思いで終わっていたかもしれない。過去の恋人かもしれない。その忘れられない人が、今永井さんの壁となって邪魔をしているのではないだろうか。本当に忘れられない人がいるとしたら、その人は永井さんにとって一番の人だ。一番愛した人。今の気になる女性なんてとうてい及ばない、私とでは地上から月に手を伸ばすくらい遠い人。

 気になる人はどんな人か。今までどんな人と付き合って来たのか。忘れられないくらい好きだった人はいたのか。

 しかし、永井さんの今までの恋愛について聞ける勇気なんてなく、私は今こうして梨子に昨日のことを愚痴るため待ち合わせているのだ。

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