ケータイ小説 野いちご

あなたの中の愛しい人

第9章 ムチュウ



 永井さんのことを四六時中考えていた。そして、何度もクリスマスの出来事を頭の中で繰り返し再生した。夢ではないか、と時々錯覚する。それでも、毎日のように来る永井さんからの連絡に、これは現実だと舞い上がっていた。

「彼氏できちゃって、毎日浮かれてるねぇ」

 久しぶりに会った梨子にからかわれた。今日は付き合ったことを報告するために、久しぶりに私から出かけようと誘ったのだ。十二時に駅前で待ち合わせて、近くのお好み焼き屋に入った。

「幸せオーラが隠しきれてないし。デレデレしちゃってさ」

 永井さんのことを相談した人には一応報告した。デレデレしないように、彼氏ができました、と。ほとんどの人は喜んでくれた。たとえそれが嘘だとしても、その場だけだとしても、梨子以外の全員は喜んでくれた。しかし、梨子は冷たかった。喜んでくれとは言えない。友達と言えども他人に彼氏ができたくらいで同じように喜べと言われても、私なら迷惑だからだ。でも少しくらい、デレデレした私を受け入れてくれてもいいじゃないか。

「最近梨子はどう?」

「どうもこうもないよ。智遥に彼氏ができたから、私の相手をしてくれる人がいなくなったんだもん」

 そんなことないでしょ、と答えながらも、なんだか重たいなぁと思ってしまう自分がいた。私なら彼氏ができて、彼氏を優先にしてしまう友達がいたとしても別に何とも思わない。両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言うくらいだ。実際にそうだった。しかし、いざ自分が彼氏持ちになると、自分がしたときと同じように扱ってほしいと思うものだ。だから梨子にも喜べとは言わないけれど、必要以上にからかったりしないで話しだけを聞いていてほしい。彼氏ができたくらいで、友達をやめたわけでもあるまいし。

 梨子はあつあつの鉄板の上に乗ったお好み焼きを、ぷっつりと半分に切った。さらにその半分を二つに切り、ふた切れを私の方に差し出した。

「ありがと」

「マヨネーズかけるんだっけ?」

「うん」

 梨子はマヨネーズが嫌いだ。

「よくかけるよね。そんなに」

 私の皿に乗ったお好み焼きを指差しながら「おえー」と声には出さずに言った。

「おいしいもん」

 梨子はどんなことも態度に現す。思っていることを、心の中だけにとどめておこうとはしない。ずっとそうだったが、今日ほど辛いことはない。梨子を嫌いになったりはしないが、少し距離を置こう、と思った瞬間だった。

「で、どこ行く?」

「どこでもいいよ。買い物する?」

 高校を卒業してすぐに働きだした梨子とは、金の出方が違う。私が週に三回夕方から夜にかけて中華料理屋で時給八五〇円で働いて稼いだ金は、今日でほとんど失ってしまうかもしれない。私は変な汗をかいていた。

「買い物しよ。私、欲しい鞄があるんだ」

 お好み焼きを少しずつ冷ましながら、ちまちまとかじった。

「仕事は大変?」

「学生とは違うよ。クリスマスと正月はひどかった」

「そうなんだ。社会人はやっぱり大変だね」

 仕事の話が聞きたかったわけではない。でも、これ以上話すネタが見つからなかった。私がしゃべればだいたいは永井さんの話になるし、そうすればまたなにか嫌みを言われる。仕事の話を聞く方がマシだ。「学生は大変だね、テストなんてもう二度と受けたくない」「社会人も大変だけど、お金がもらえるからなんてことない」と、自慢話かまだ学生をしている私を羨ましがっているのか、はたまた馬鹿にしているのか。どんな理由であれ、彼氏についてどうこう言われるより遥かにいい。

 お好み焼き屋で財布を出そうとした私を制すると、梨子はふたり分払った。同い年なのに、社会人と学生はこうも違うのか、と思いながら、でもおごってもらえてラッキーとは思えなかった。お好み焼き屋を出て、近くにあった靴やで梨子は一万五千円の鞄を購入した。その後に新しく出たアイシャドウを買い、仕事で使うからと靴下を三足買っていた。街中を練り歩きながら、私は一円も使わない努力をしていた。欲しいものはいくらでもあったが、ぐっと堪えて我慢した。

 変わりたくないと、人は思うらしい。私も変わりたくないと思っていた。久しぶりに会う人たちに「変わったね」と言われると、なんだか悲しくなった。「昔の方がよかった」と言われているような気分だった。でも最近「変わったね」と同じくらい、「変わらないね」も悪い意味に聞こえてきた。変わることは怖いけれど、変わらないでいることも怖い。考え方も、習慣も、行動も、環境もだんだんと変わっているはずなのに、私たちはときにその変化に目をつぶる。梨子は変わったし、私も変わった。変わらないこともあるけれど、変わったことも同じだけある。でも梨子はなぜ変わったことに目をそむけるのだろう。私が変わったことに気づかないふりをして、無理やり昔の私を押しつけているような気がした。

 駅で別れたときには、夜の八時だった。

 電車に乗り込むと、奇跡的に座ることができた。座ったときについ、ふぅっと息が漏れる。

 携帯を開くと、永井さんからメールが来ていた。二時間も前にきていたが、全く気づかなかった。

「今日会える?」

 そんな内容だった。

 今すぐ会いたい。会って、今日私が思ったことを伝えたい。永井さんはどう思うかも聞きたかった。

「メールに気づかなかったです。ごめんなさい。私も会いたいです。どこかで待ち合わせしますか?」

 と送り、携帯を握りしめながら返信を待った。

「じゃあ、家まで迎えに行くよ」

 画面を見てにやにやした。たった一文を何度も繰り返し目で追う。しばらくして、今いる場所が電車の中だと気がついた。ふと、前に座っている女の人と目が合う。しまった! と思いながらなに食わぬ顔でもう一度携帯に目をやる。電車のスピードが遅くなると、彼女は席を立ちドアの前へよろよろと歩いた。降りていくのを確認すると、ホームに降りた彼女を見た。電車が動き出そうとしたとき、彼女はくるっと振り返り、また目が合う。

 どこかで見たような顔だった。

 久米茉莉だ。そうだ、ツリーの前で出会った久米茉莉だ。だが、死んだはず。

 もう一度見た。いや、似ているだけだ。本人のはずがない。世界には、三人は似た人がいると言う。それだ。たまたま、似た人を見かけただけ。

 そう自分に言い聞かせたが、もう一度女をしっかり見たくて、窓の向こうへ首を伸ばした。でも、ホームを覗くと誰もそこにはいなかった。


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