ケータイ小説 野いちご

あなたの中の愛しい人

第1章 カタオモイ



 恋に破れてできた傷が、身体の奥底で疼いていた。体内に手を突っ込んで直接掻き毟りたい気分だった。傷口は癒えていない。ジクジクとやわらかい。










 気になる人がいるんだ。










 永井さんの声が聞こえる。頭を振っても消えないし、ぴったりと脳に張り付いていた。当分消えないだろう。このまま何年も引きずっているかもしれない。

 改札口を出て、ロータリーの方に向かった。同じ電車に乗っていた大勢の人が地上を目指して歩いて行く。川を昇る鮭のようだ。私はそのまま流れに身を任せた。私が鮭だったら、きっと子孫を残す力もなく、生まれた川に戻ることもできず、静かに死んでいくだろう。そんな気分だ。

 ため息交じりに携帯を見つめ、連絡がないか確認する。着信はない。メールもない。またため息をついてポケットにしまう。誰からの連絡を待っているのか。それは、今から会う予定の梨子か。それとも……。




 一か月前、永井さんに振られた。「あなたのことが好きです」そう言ったわけではないけど、気になる人がいるとわかった。私にとって、振られたことと同じくらいの衝撃だった。

 永井さんとは中華料理屋のバイト先で知り合った。私は二十歳、大学二年生。永井さんは二十六歳、バイトを二つ掛け持ちしている。その年の差、六つ。

 はじめに言っておくが、永井さんはイケメンではない。だが不細工でもない。惚れておいてなんだが、普通だと思う。背は一七〇センチくらいで、短めの黒髪、肌の色は少し白い。目は細くて、唇は薄い。

 バイトをはじめた日、永井さんを一目見てわかった。運命の人とは、出会った瞬間にわかるものだとテレビだか雑誌だかで言っていた気がした。ビビビ、というやつだ。永井さんに会った日、身体中に走った衝撃はきっとそれを伝えているに違いなかった。なにがあっても仲良くなりたいと思った。

 永井さんは、私に気があると思っていた。いつも優しくしてくれたし、私が料理を運ぼうとすると厨房からわざと変な顔をして笑わせてくれたし、どんな相談にも乗ってくれた。いつも気にかけてくれていた。私を気に入ってくれてる、絶対にそうなんだと確信していた。でもそれは、ただ永井さんが優しいだけだった。勘違いしていただけだった。

 彼女がいるかどうかは、そんな変な確信があったから聞いたことがなかった。何度もアドレスを聞く過程を想像して、何とかアドレスを聞き出し舞い上がっていたが、すぐにどん底につき落とされた。メールをはじめてすぐに、私ではない気になる人がいることを知った。それを聞いてから、急に永井さんの顔すら見られなくなった。相手は私でないのに、私のことだとすっかり思い込んでいた自分が恥ずかしくなった。

 そんなある日、永井さんは突然バイトを辞めた。あまりに突然すぎて、「なぜ辞めるのか」「これからどうするのか」も何も聞けなかったし、「楽しかったです。ありがとうございました」のお礼の一言も言えなかった。もうこのまま、二度と会うことはないんだと思った。それでいい、このまま忘れてしまおう、忘れるにはいい機会だ、と思った。


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