「浮気調査やら、迷子の猫または、飼い犬探しやらそんなのばっかだな」

「仕方ありませんよ。てっとり速く殺人事件でも誰か起こしてくれないと、出番はありませんから」

「怖ぇよ!殺人事件の依頼がないってことは、それなりに平和ってことだろ?」

ウィルの呆れたような声に、アマネは答えない。

今日も今日とてコーヒーをすすり、前にウィルが買ってきた本を速読している。

相変わらずの光景だが、ウィルは少し居心地が悪かった。と言うのも、前回のアマネと黒の貴公子のやり取りや、アマネが拐われた時のことを思い出すと、胸の奥がざわつくのだ。

その理由を、ウィルは何となくだが気付き始めている。だが、ウィルは目を反らすことを決めた。

きっと、自分の気持ちの謎を解くのは、アマネなら望まないだろう。彼女が今の関係を望んでいるのは、何となくだが分かる。

彼女が自分を側に置いてる理由も、最初から知った上で助手を引き受けたのだ。

「ところでウィル。今日は何か予定はありますか?」

「特にねーけど?」

「では、行きましょう」

アマネは立ち上がると、ドアへ向かう。

「はっ?いや、何処に?」

「たまには、散歩もいいかと思いまして」


木漏れ日の光が注ぐベンチで、ウィルとアマネは座っている。

何故公園に連れてこられたのか、ウィルにはさっぱり分からない。

「私達が初めて会ってから、もう随分経ちますね」

「そうだな。最初の印象と中身のギャップに驚かされたけど。しかも、その後急に助手やれとか言うし」

一年と言う期間は、ウィルにとってはとても短かったように思う。一年前に出会ったあの日、まだアマネが探偵になって間もない頃。

「初めは、君のことを疑っていました。私は日本人ですから、髪色ですぐ分かりますし、顔立ちも違います。私に近付く人は、嘘つきばかりでしたから」

「……今は?」

少し不安そうな声が、ウィルの口から溢れた。今はきっと信頼されているだろう。そう思いながらも、やはり不安は沸き上がるものだ。

「ウィルは馬鹿正直で、何でもすぐに顔に出ますから、疑う意味がありませんね」

「……もっとオブラートにつつんでくれよ!」

いくら事実とはいえ、地味に心に刺さる。

「褒めているつもりですが?だって、それは君の長所なんですよ」

アマネは千切れた雲がいくつも浮かぶ空を見上げた。

その瞳には、どこか憂いを帯びているような光がある。

「黒の貴公子が宝石を狙う理由は、私は何となく分かりました。昔の私と今の彼は同じなんです」

「昔の、アマネ?」

「ネーちゃっ……ひっく………ネーちゃー…………ぅぅ」

ウィルが訪ね返すと、小さい子供の泣き声が聞こえた。その方向にアマネは顔を向ける。

ボロボロのシャツと半ズボンを履いた、あまりにも細い体の子供が、両腕を顔の前にやっている。

「……どうしたんですか?」

アマネはベンチから立ち上がり、泣いている男の子に声を掛ける。男の子は顔を上げアマネを見た。

「!………名前は?」

男の子の顔に、アマネは一瞬驚きに目を見開く。が、すぐにいつもの無表情に戻した。

だが、男の子にはアマネの顔が怒っているように見えたらしく、またポロポロと涙を流す。

「うぅ……ぅ」

「え?……あの……………す、すみません」

珍しくアマネの焦ったような声に、ウィルは場違いながら笑ってしまった。

「ははっ。お前もしかして子供に好かれないタイプか?」

「………どうやらその様です」

少しだけムッとしたような声で、アマネが言うと、ウィルはしょうがないと言うように肩をすくめてから、男の子の側に寄った。

「よっ………と!」

「わっ!」

ウィルは男の子を抱き上げると、太陽のような眩しい笑顔で笑う。

「ほらほら、男がいつまでも涙見せちゃ駄目だぜ!大丈夫だ!俺が言うんだから間違いない!だから、怖がらなくて良い」

何の根拠があって大丈夫と言っているんだ?と言うアマネの視線に気付かないふりして、ウィルは男の子を肩車する。

「親とはぐれたか?」

「……グスッ、親……いない。ネーちゃと二人。でも、人はいっぱいいて、働かされる」

飛び飛びで、男の子の言っていることがよく分からないウィルは訝しげな視線を送る。

「えーっと、姉ちゃんとはぐれたってことか?てか、働かされるって……」

「ネーちゃ、もう使えないって、大人の人が言って……ネーちゃ…………冷たかった。温めても全然起きてくれない……今日、ネーちゃ、連れてかれた…………う、うぅ」

辛いことを思い出したのか、男の子は顔を歪ませてまた泣き出す。

おそらく、連れてかれた姉を探しに外へ出て、道に迷ったのだろう。

「泣くな泣くな。ほら」

ウィルは落ち着かせるように、優しく肩を跳ねらす。子供をあやす父親がよくやるような光景だ。

「………ウィル」

「ん?」

「その子の家は何となくですが分かりました。ですが、君は先に帰ってください」

アマネの声は暗く、表情もどこか硬い。

「アマネ?」

「この子がいる所は、恐らくイースト・エンドにある救貧院。…………この意味、君なら分かりますね?」

「!!……そう言うことかよ」

男の子の住んでいる所を理解した途端、ウィルは悔しげに俯く。

「………?」

黙りこんだウィルに不安を感じた男の子は、ウィルの髪をギュッと握った。

「お前、名前何て言うんだ?俺はウィリアム」

「ジャック」

ウィルはジャックを降ろすと、目線を合わせるために屈む。

「いいかジャック。多分、お前の姉ちゃんは神様の所に行っちゃったんだ。だから、探しても見つからない」

「え?……嘘!だって、ネーちゃ。一緒にいるって言っだ!い……だもん」

涙声になるジャックの頭を、ウィルは優しく撫でる。

「そうだな。きっとお前の姉ちゃんもそう思ってたと思う。けど、人って言うのは、いつ神様に呼ばれるか分からないんだ。姉ちゃんはお前より先に神様の元に言って、お前のことを見てるよ」

子供に、死の意味を教えることは難しい。納得できる答えを持っていないから、せめて今だけはと優しい嘘をつく。

「だから、姉ちゃんのこと、忘れないでやってくれ」

人は二度死ぬと言う。一度目は魂が肉体から離れた時、二度目は大切な人から忘れられた時。

「……うん」

ジャックは、それなりに賢いのだろう。どこか納得できない顔をしていながらも、ウィルの言葉に頷いた。

「行こうぜ。ほら、アマネも」

「…………良いんですか?」

「良い思い出は無いけどな。ほら、お前は左手握ってやれ」

ウィルに促され、アマネはジャックに手を差し出す。対するジャックは、まだ少し怯えていた。

「………」

アマネは構わずジャックの左手を握ると、前を向く。

「桜 ひらひら 桜 どこへ この地であなたを待つと 桜の木の下 私は歌う」

軽く息を吸って、アマネは歌う。ウィルもジャックも、聞いたことのない歌に、目を瞬かせていた。

「桜 ひらひら 桜 永久へ………弟が適当に作った歌ですよ。小さい頃に、子守歌として歌っていました」

それだけ言うと、アマネはまた歌い出す。

普段の彼女からは想像出来ない、優しくて温かい、けれども少しだけ悲しい声だった。