家族、友達、恋人、先輩、後輩。
その他諸々、自分と相手の関係を示す言葉は多々ある。だがしかし、それらのいずれにも当てはまらない繋がりと言うものも存在する。
上原美波(うえはら みなみ)と廣田仁(ひろた じん)の繋がりもそうだった。

美波と仁は幼稚園の時に通っていたお絵描き教室が一緒だった。
年上の美波が何かと仁の世話をしたがり、家が近所なのもあって、お絵描き教室の行きと帰りは二人で通っていた。
そんなある日。仁が小学校に上がる前、桜が咲き始めた時にある約束をした。

「ねぇ仁君。仁君が小学校に上がったら、私と朝一緒に学校に行こう!」
「うん。僕も美波ちゃんと学校行きたい」
「やったぁ!約束だよ!」
「分かった。約束だね」

美波は花が咲くような笑顔を仁に向けた。

子供同士の口約束。指切りさえもしなかったが、あれからいくつもの春を越えて、美波が高3、仁が高1になった今でもこの約束は守られていた。

「おはよう。仁」
「おはよ」

学校が別々なので、互いの通学路の中間地点である交差点で待ち合わせる。そこから別々に別れる公園までは15分ほど。

「お待たせ〜!ホームルーム長引いちゃって」
「おう。じゃあ帰ろ」

下校は、朝別れた公園で待ち合わせて交差点まで帰っている。部活などで時間が変わるとき以外は基本的に登下校はこのスタイルだ。

これに加えて、メールをしたり遊びに行く仲であれば、この二人の関係は友達や恋人に当てはまりそうだ。
だが、美波と仁は《一緒に登下校をする》ただこれだけだった。

アドレスの交換はしていないし、休みの日にどこかに遊びにも行かない。寄り道もしないし(する場所もないが)家にも行かない。
ただ、一緒に片道15分の距離を歩くだけだ。

「駅前の空き地だった所にコンビニできたの知ってる?」
「知ってる。この前マンガ買いに行ったら部活の先輩がバイトしてた」
「え!それはびっくりだね。私も早く行きたいけど家から遠いしなぁ」

こんなとりとめのない話をするだけ。
一緒に通う理由も昔からの習慣で《なんとなく》としか言いようがない。
こんな名称のない関係に、高校卒業を来月に控えた美波は最近色々と考えるようになった。

(私が卒業したら仁とはもう会わなくなるのかな…)

そんな事を部屋でぼんやり思う時がある。
進学先の大学は隣町にあるので、電車通学になる。
これまでのように仁と通うことはできない。
10年間、通学路だけで繋がっているこの関係は無くなるだろう。それは少し寂しかった。


そしてあっという間に時間は過ぎて、蕾だった桜が少しずつ花開き始めた。今日は美波の卒業式。
二人で通学路を歩く最後の日だった。

「おはよう、仁」
「おはよ」

いつものように仁が先に歩き出す。
自分より少し高いその背中に、美波は小走りで駆け寄る。

「ねぇ、仁。これ見て!卒業式だから髪編み込みしてみたの。どうかな?」
サイドの髪を指差して仁の方に向ける。
仁は歩きを少し遅くして、美波の髪に視線を移した。
「おぉ、うん。良いと思う。ちゃんと出来てる」
「本当?良かった!」

仁は基本クールで淡白な性格だが、嘘やお世辞を言わないので褒めてくれたのがとても嬉しい。

「私の卒業式お昼までなんだけど、仁は今日何時間目まで?」
「俺んとこも今日卒業式だから昼まで。1年は在校生代表で出るから登校しなきゃいけないんだ」
「そうなんだー。じゃあ今日も公園で待ち合わせね!」
「俺は良いけど…上原は友達と帰らなくて良いのか?最後なんだろ?」
「大丈夫!1回帰ってから遊びに行く約束してるから」

それに、仁と帰るのだって今日が最後なんだよ。
この言葉は心の中で呟いた。


──────────────

昼過ぎ。
卒業式を終えて美波が公園に来ると、仁はまだ来ていなかった。
待つ間、この公園唯一の遊具であるブランコに座る。
サワサワと心地よい春風が吹く中で、今までの仁との事を思い出した。

高校は違う所なので、学校内で話す事は当然ない。
小中の時は学校は同じだったが、学年が違うので仁と学校内で話した記憶はほとんどない。

でもそのお陰で通学路で話せることがあった。

学校での楽しかったこと、嫌だったこと、友達関係の悩み、勉強のこと。話すのはいつも美波ばかりだったが、仁は嫌な顔せず聞いてくれた。
今思えば、学校のコミュニティー以外で話を聞いてくれる存在がいることは、美波にとって強い心の支えだったと思う。

朝二人とも寝坊して全力疾走で登校した時もあった。帰りに野良猫と猫じゃらしで延々遊んだこともある。
夏は自販機でジュースを奢り合い、冬はあまりの寒さに一言も話さずに道を歩いた。
何歳の出来事なのか思い出せないほど日常化した光景だったが、今はすごく懐かしく思えた。

(この帰り道で最後かぁ。色々あったなー。懐かしい…)

美波は目を細めて空を見上げた。柔らかい日差しと青空が瞳に映る。
そこに見慣れた顔が映り込んだ。

「…お待たせ。そんで卒業おめでとう。一応言っとくな」
「えへへ。改めて言われるとなんか照れるね。ありがとう!」

ぴょんっとブランコから降りてカバンを肩に掛ける。先に歩く仁を追いかけて横に並んだ。
今日は何となくお互いに喋らない雰囲気だったが、嫌な沈黙ではない。
美波はちらりと仁を見る。
小学校高学年くらいで呼ばれ方が“美波ちゃん”から“上原”に変わった。
身長は中学で抜かされて高校に入る頃には骨格も男子っぽくなった。
ぴょんぴょんとはねている癖っ毛は相変わらずだけど小さい頃とはずいぶん雰囲気が変わった。

「仁って身長伸びたよね。今何センチ?」
「多分170くらい?」
「え、そんなにあるの?私より10センチも高いのかー。あんなにちっちゃかったのに」
「そうだっけ?」
「そうだよ。小さい頃は私の方が高かった。声も低くなったし、何か全然違う。昔が懐かしくなっちゃうな」

そう言う美波を仁は不思議そうに見る。

「でも何で急にそんな昔の事?」
「だって、仁と一緒に帰るの今日が最後なんだもん。大学行ったら電車通学するし、これからは行きも帰りも仁がいないと思ったらセンチメンタルな気分になっちゃった。会うことも少なくなるだろうし」
「・・・うん。まぁ、確かにそうかも知れないけど」

そこまで話して、いつもの交差点に着いた。
美波は寂しく思ったが、顔には出さなかった。

「じゃあ、ここで」
「おう、じゃ」

美波は仁に背を向けて歩きかけたが、ふと思い立って再び振り向いた。

「仁!」

仁が少し驚いたように目を大きくした。

「なに?」
「あのね、今日までずっと一緒に学校行ってくれてありがとう!あと、約束守ってくれてありがとう」
「約束?」
「そう!仁は覚えてないかも知れないけど、小さい時に朝一緒に学校行こうって約束したんだよ。
私、仁といっぱい話せて楽しかった!」

美波が仁を見上げて笑う。仁の方はキョトンとした顔をしていたが、急にそっぽを向いた。

「…俺も、上原といるの楽しかったよ。あと、約束守ってくれてありがとうな」
「あ、いや、あの約束は私が仁にお願いしたんだよ」
「そっちじゃなくて…。上原は忘れてるだろうけど、もうひとつ約束したことがあるんだけどな」
「え…?」



―――――――《10年前》ーーーーー



「分かった。約束だね」
「ありがとう仁君。春から一緒に学校行くの楽しみだなー!」
「…ねぇ、美波ちゃん。僕もお願いしても良い?」
「なあに?」
「僕、お家に帰るときも美波ちゃんと一緒がいい…」
「良いよ!一緒に帰ろう」
「ありがとう。約束してくれる?」
「もちろんだよ。約束ね!」

2つの約束を交わした交差点で、10年間この約束は守られる事になるのだった。

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「あの約束は俺も覚えてるよ。帰りも一緒が良いと言い出したのは俺なんだ」
「そうだったけ…?ごめん、忘れてた」
「だと思ってた。別に良いけど…」

若干ふて腐れている仁に、美波はくすくすと笑う。
こういう表情は昔のままだ。
そして、この表情をこれからも見たい、と思った。

「ねぇ、仁君。お願いがあるんだけど」
「なに?てか急に君付けしてどうした?」
「これからもその約束守ってよ。登下校は無理だけど、代わりにメールとか電話してほしいな。あとたまにご飯とか映画付き合ってよ」
「えっ…いや、それもはや約束の内容関係ないし、俺じゃなくても…」
「私は仁君が良いんだけどな。ダメなら別に良いけどさー」
「ダ、ダメじゃない!」

珍しく仁が慌てて否定する。

「その…提案に、応じるよ。…美波ちゃん」

口元を手で隠して視線を逸らしているが、頬と耳が朱色に染まっているのが心情を表していた。

そんな仁を見た美波は、10年前と同じ、花が咲くような笑顔を仁に向けた。

昼下がりの午後の交差点で、二人は新たな往路と復路を歩き始めた。