キッチンから、朝ご飯の美味しそうな匂いが漂ってくる。


その匂いに釣られるように、私-安藤 優希(あんどう ゆうき)-は目を覚ました。


大きく伸びをし、半分閉じかけた目を擦る。


朝の眠気と格闘しながら毛布を抜け出し、布団を畳んでいると、私の部屋のドアがノックもなしに開いた。


「おはよう、今日も良い天気ね」


つかつかと私の部屋へ入って来て、カーテンを開け始めた人は私のママ。


「うん。おはよう、マ…」


「勇也(ゆうや)、朝ご飯出来てるから食べなさい。布団は片付けておくから」


私の声は、ママの声によってかき消される。


そして、ママが発した“勇也”という単語に、私の体が硬直した。


(そうだ、私は優希じゃない)


ママの一言で、私は必死に自分に言い聞かせる。


(私は優希じゃない。私は勇也。私は勇也)


「分かったよ、母さん」



きっと、私が“ママ”と呼べる日は、二度とやって来ないだろう。


「今日は勇也の好きな、ハムの卵焼きよー」


部屋を出た私に向かって、ママが呼び掛ける。


その声は、私の背中を軽く押したように感じた。


「んー」


私は振り返らずに返事をし、真っ直ぐに洗面台へと向かった。



冷たい水をバシャバシャと顔にかけ、顔を洗った私は小さくため息をついた。



また、“安藤 勇也”としての1日が始まる。