ケータイ小説 野いちご

この作品のキーワード

愛される自信をキミにあげる



 ふわりと香るネギとゴマ油の匂い。
 接客業だから、お客様との打ち合わせの予定がない日が限定だけど、あたしにとってはここに来るのは社会人になってからの楽しみだった。
 床は油で汚れていて、カウンターとテーブルが二組の狭い店内。
 ランチから帰ったら、速攻で消臭剤を社服にかけなければならない。
 周りに臭いと思われないように、歯磨き後のマスクも常備──つまり、そんな場所にどうして三条課長と一緒にいるのかってこと。
「あ、の……今日、担当してらっしゃるお客様の披露宴は……」
 今日は平日ということもあって数は少なかったが、午前中に一件だけ披露宴があった。
 午後は夜も含めて披露宴会場の予約が入ってないことは確認している。
 つい聞いてしまったのは、話が続かなかったからとか、そういうわけじゃない。
 突然何が食べたいかと聞くからラーメンと答えてしまっただけで、こんな予定じゃなかった。
 しかも、まさか三条課長がラーメン食べに行くとか思わないし。
 カウンターに並んで座っている今の状態を想像すらしていなかった。
 ラーメンっていう料理をもしかしたら知らないかもしれないって、結構濃いめの味で、ネギがいっぱい入ってて、フォークとナイフは出てこないんです。
 午後にお客様との打ち合わせがあるなら、控えた方がいいですよって言いたかった。
 なのに、とうの三条課長は目の前に出てきたラーメンに目を輝かせて、箸を綺麗な所作で割ると、ブランド物スーツであることも気にせずにラーメンをすすった。
「うん、ほんとだ。美味しいね」
「美味しい、ですか……」
「あ、スーツなら大丈夫だよ。午後も打ち合わせあるけど、着替え置いてあるし、シャワー浴びるから」
「シャワー……」
 どこでと疑問が顔にでていたのか、柔和な笑みを浮かべた三条課長がいたずらっぽく瞳を細めて、あたしの耳元に顔を寄せた。
 内緒話でもするみたいに潜めた官能的な声が、耳から脳内へと広がっていく。
「ああ、よかったら白崎さんも使う? 父さんの執務室シャワールームあるからさ。たまに使わせてもらってるんだよね。でも、他の人には内緒ね」
 人差し指があたしの唇に触れた。
 同じ食べ物を口にしてるとは思えない。
 だって、三条課長からはすごくいい匂いがした。
 ラーメンのネギの匂いなんてかき消すぐらい、爽やかで清潔そうな香り。
「つ、つっ……使いませんっ」
 ラーメンに集中して、いつもここで食事をする時はラーメンのことしか考えない。
 なのに、今日に限ってはせっかくの美味しいスープの味も、まったく感じられなかった。
 なんとかどんぶりいっぱい食べ終わって、隣をそっと見つめれば食べるところを見られていたのか、とっくに食べ終えていた三条課長と目が合った。
「ね、やっぱりキミに決めた。協力してくれないかな」
 その言葉に、麗を思い出した。
 三条課長も今までの人生で、自分の思い通りにならないことなんてなかった人だ。
 あたしが断らないって自信満々の笑顔が向けられる。
 こんなの……憧れの大好きな人にこんな風に笑われたら、何だってしてしまう。
 何を協力すればいいのかも聞いていないのに、気づいた時には頷いていた。

< 5/ 25 >