私の記憶の中にある『あの町』の話。
私がかつて住んでいた町の話だ。

あの町は小さくて、町外れにある丘から全てを見下ろすことができた。

7階建てのマンションより大きい建物は無くて、すごく小さい町。
だれども、町はにぎやかだった。

丘には一軒の家が建っていて、そこには『ばあば様』と呼ばれる人が住んでいた。


ばあば様、なんて不吉な呼び方なのかも知れない。
それこそしわくちゃの意地悪な婆さんを思い出させる呼び名だ。

そんな呼び名のイメージとは裏腹に、ばあば様はいつも小綺麗で笑顔を絶やさない、いわば『町の顔』と言われている人。
この町に住む人は、概ねばあば様のことが好きだった。
元々はここの地主だった人の奥さんだったと言う。



「あなたちが住んでいる家は、かつて私が新婚生活を送った家なの」
そう言ってよく手土産を持って、家に遊びに来てくれていた。

周りの新興住宅よりも、古いけれども広い家。
春が過ぎると庭に、杜若(かきつばた)の花が咲き誇る。
あやめに似ている、紫の花。

私もばあば様も、庭で杜若を眺めるのが好きだった。