松嶋くんが出張へ行ってから三日後の月曜日。

本人不在でも、社内は、彼の噂で持ち切りだった。

「やっぱり違うわね、王子」

「松嶋グループの御曹司なんでしょ? 確かに、普段の行動とかも気品あふれてる気がするよね」

「あー。やっぱり私、松嶋さんのお嫁さんになりたいですっ!」

至るところで聞こえてくる、女子社員の噂話。

いつもならきょんちゃんと小春ちゃんが、「松嶋くんは結衣しか見てないんだから、気にしちゃだめだよ」とか、「もー、耳ふさいでて、結衣ちゃん。聞こえない聞こえない」とか言って気を紛らわせてくれるのに、ふたりとも今は職場にいない。

「あ、もう。知らない知らない」

パンパン、頬を軽く叩いて廊下を歩いて人事課へ向かう。

土曜日の朝、『じゃあ、行ってきます』と言って、松嶋くんは、再び私の左の薬指にキスをした。

二度もされたら、鈍感な私もさすがに気づく。

帰ってきたら松嶋くんが言おうとしていること。それはきっと、私へのプロポーズなんじゃないかって。

普通の女の子なら胸がキュン、となるところなんだろうけど、私の心臓はザワザワと不穏な音を立てている。

もし本当にプロポーズをされて、私は手放しで首を縦に振ることはできないだろう。

一番懸念していた、私たちは血がつながっているんじゃないだろうかという疑念は晴れたけれど、私の父親である人と松嶋くんのご家族に接点がないとは限らない。

何かしらの形で出会うようなことがあったとき、そしてそれが松嶋くんのご家族や、父である人のご家族のマイナスになるようなことになってしまっては、身を引いて父を守った母が浮かばれない。

一番いいのは、金曜日にちゃんと、今自分が思っていることを松嶋くんに伝えることだったのはわかっているけど、小心者の私にはできなくて。

こんな自分が大嫌いだ、と心の中で呟いて大きくため息をついたとき、ちょうど人事課の入口へとたどり着いた。

「おはようございます」

下を向いている唇を上向きの元気な形に変えて入っていくと、瑞穂ちゃんの周りに何人か集まっていた。

「小野山課長。すごい勢いで広まってますよ、松嶋さんの話」

「私も同期に食い気味で聞かれましたよ。人事にいるからって色々わかるわけでもないし、教えられることもないって言いましたけど」