何もないただの平日。高校2年生の私、水瀬葵は、家で病院に行く準備をしていた。

学校は…行っていない。そう、私はいわゆる不登校児というやつだ。

理由は、自分でもわからない。でも大体検討はついている。




今日病院に行くのは、お兄ちゃんが入院していて、学校行ってないんだからお見舞いくらい行きなさい、とお母さんに言われたからだった。




「葵ー?そろそろお昼だからもう家出るよ」

兄に頼まれたスマートフォンの充電器を鞄に入れたところで、お母さんの元気な声が家中に響き渡る。

「はーい、今行くよ!」

急いで鞄を持って立ち上がり、階段を降りて玄関に走った。




「今日お兄ちゃん検査だから、帰り遅くなると思うけど、先に帰ってて良いからね。」

「あ、そっか。今日検査なんだっけ。」

お母さんに言われて、そんな様なことを前に言っていたのを、ぼんやりと思い出しながら家を出て、バス停でバスに乗り病院へ向かった。




しばらくして病院に着いて、お兄ちゃんの病室へ足を進め、扉をノックして開けたとき、部屋の中にはお兄ちゃん以外にも誰か居るようだった。

珍しいなと思いながらも、声を掛ける。


「お兄ちゃん、充電器持ってきたよ。」

「お、葵。ありがとう。」

「これから検査でしょ?がんば。」

「相変わらずだなあ。」

なんて会話をしながら、私は誰か分からない兄の隣に立っている、背の高い、格好いい部類に入るであろう顔の整った、優しそうな色白の男子を見た。


「あ、こいつ、隣の病室の一ノ瀬皐月。お前と同い年だから仲良くしろよ。」


それに気付いたのか、お兄ちゃんが教えてくれた。

それにしても細い子だなあ…。

とか色々思いながら、私はその“皐月”くんに声を掛けた。


「よろしくね、皐月くん。」

「うん、よろしくね。」

ニコッと笑った時の人懐っこそうな微笑みが眩しく感じられる…。何なんだこの子…。




そのとき、お母さんが「じゃあ、お母さんとお兄ちゃんはもう検査に行くからね」と言いながら、いつの間に扉の方へ行っていたお兄ちゃんと一緒に、部屋を出ていく。

私も「うん」と返事をして、そのあとはやはり沈黙が続いた。


「あ…」

よく考えたら、病室の中は私と皐月くんだけだった。

一瞬目が合い、皐月くんが口を開く。

「そういえば、名前聞いてなかった。何ていうの?」

「…え?私?」

後ろを振り返っても誰もいない。目線を前に戻すと、お腹を抱えて笑うのを抑えながらも抑えられていない彼が目に映る。
なんかムカつくな…。

「何で笑ってるの?ていうか皐月くん、抑えられてないし。」

と私が言うと、涙目になりながらも、「お前バカだな」とずっと笑っている。

訳がわからず、困惑しながらも数分後、やっと笑い声が響かなくなった。

ようやく落ち着きを取り戻した皐月くんは


「さっきの質問はお前に聞いた。それと、俺のことは呼び捨てで良いよ。」


まだクスッと少し笑いながら言って、病室のベッドの横にある椅子に腰を下ろして、もう一つの椅子を私の方へ押してくれた。

座ってという合図だと思って、その椅子に座る。


「名前は水瀬葵。じゃあ呼び捨てで呼ばせてもらうね。」

「うん。葵、ね。りょーかい。かわいい名前だね。」

葵と急に呼び捨てされて、少し恥ずかしくなったが、かわいい名前と言われてさらに恥ずかしくなった。

普段呼び捨てするのは家族と親友以外いないし、かわいい名前だと言われることもないからだ。

少しびっくりしながらも、「ありがとう」と答える。

そういえば、皐月は何で入院しているんだろうか。


「…」


一旦口を開きかけて、また閉じる。やっぱり聞くのは良くない気がしたから、本人が教えてくれるまで待つことにした。

そのあとも、どこの高校に行ってるのかとか、私は不登校なことも全て話した。

素直に話した方が楽だと思った。




ふう、と息を吐きながら、ふと時計を見るともう6時になっていた。

皐月も時計を見て、


「もう6時だ。時間が経つのは早いね。」


と言った。外はもう真っ暗だし、今日はもう帰ろう。


「うん、早いね。私はそろそろ帰ろうかな。もう暗いし。」


と言って立ち上がる。


「ああ、そうだな。俺は送っていけないけど、気を付けろよ。」


困った顔をしながらそんなことを言う。クラスの男子たちとは大違いだ。


「大丈夫。そんな困った顔しないで。じゃあおやすみなさい。」

「うん、おやすみ。」




最後に少し言葉を交わして、病室の扉の方へ行ってから振り返り、

「…また明日来るね。」

と一言付け加えた。

明日来るねと言ったのは、私が不登校だということを話したときに、「なら、俺も暇だから来たいときに来ていいよ。この病室の隣だから。」と言われたから。

私は、家からあまり出ないから当たり前なんだけど、すごく毎日暇だったから、お邪魔させてもらうことにした。
明日来るねと言った私を彼は、水晶みたいな綺麗な目で見て、「うん。」と言った。