―――――――…

 深く深く、沈んでいく自分の体。
 すべてが沫に、包まれる。

 塩辛い舌先の味に、涙の海で溺れているようだなと思った。
 そんな物語みたいなことを、あたしに言っていたのは誰だっけ――

 お母さんが死んだ時、あたしは泣かなかった。
 まだ小さかったから記憶がおぼろげだったせいもあるけれど、あの時のあたしにとって死ぬということがどういうことなのか、分からなかったのだ。

 理解できずにただ、二度と会えないと言われて必死に棺の中からお母さんのカタチを探して掴んだ。

 二度と会えないということが死んでしまうのと同じことなら、あたしが“この世界”から戻らなかったら、“あの世界”ではあたしは、死んだのと同じことになるのかな。

 あたし…、あたしは――


―――――――…


「……っ!」
「…、生きてたか、運の良いヤツ」

 ぽたぽたと、自分の額に水滴が落ちてくる。
 それが頬や瞼を滑って、体中を濡らしていた。

「…ぅぐ、げほっ」
「おい、真水持ってこい!」

 目の前の人の叫んだ声に、すぐ近くに居た人が返事をして走る足音。
 たくさんのひとの気配を感じる。

 吐き出す水が塩辛く、肺や胃を刺激した。
 喉が痛い。涙が止まらない。
 一体どうしたというのだろう、今度は。
 だけど無意識にここが海の上であることが理解できた。
 耳につく潮騒と鼻につく潮の匂い。

 事態は相変わらずうまく呑み込めない、だけど。
 不思議と確信があった。
 ここは、シェルスフィアだ。
 シアの国だ――

 床に体を横たえたまま咳き込んでいた腕を強くひかれた。
 抵抗する気力もなく、なすがままに仰向けになる。
 未だに視界がぼやけていて、目の前に誰が居るのかも分からない。
 だけどシアやリシュカさんだけじゃないことは分かる。
 ここがあのお城じゃないことも。

「おい、意識ははっきりしてるか?」
「…っ、…」

 声が上手く出せない。
 喉が張り付いている。
 痺れて痛い。

 自分の顔を覗き込んでいるのだろう、その声はすぐ鼻先から聞こえた。
 潮の匂いに混じって何か別の匂いがする。
 海水を吐き出した体が痛みと共に、今度は乾きを訴えた。

「口開けろ、噛むんじゃねーぞ」

 それだけ言われた次の瞬間。
 大きな手の平に、頭の後ろと顎を掴まれる。
 そして唇に押し付けられる温かい感触。
 と同時に、温い水が口内と喉に溢れる。

「……!」

 突然のことで、咄嗟に体は抵抗を見せ流し込まれた水はすぐに口から溢れた。
 げほげほと吐き出すけれど、相手は一瞬の間を置き、また同じ行為を繰り返す。
 それが欲していた水だと理解したけれど、この状況に頭も体もついていかず、力の入らない腕で必死に相手の体を押し退けようともがくけれどびくともしない。頭を固定され、顔を背けることもできない。

 また、押し付けられる唇。
 それから無理やり自分の唇を押し開け、その隙間からぬるりとした感触と共に入ってくる水。
 だけど上手く呑み込めない。吐き出してしまう水を、相手が受け止め啜る。きっとあたしの唾液も涙も混じってる。

 何度目かの抵抗がすべてムダだと理解した時、抵抗する力も抜け素直にそれを受け入れていた。というより体がその必然性に応じる方がはやかった。
 喉の奥に張り付いていた塩の痕が少しずつ水に流されていく。こくこくと喉が鳴って、合間に酸素を吸う余裕も戻ってきた頃。

 ようやく唇が解放され、視界も戻ってきていた。
舌先に残る甘い香り。水の中に何か混じっていたのかもしれない。

「…ったく、貴重な真水をムダにしやがって」

 自分の手の平から手首を滴る水を舐めながら、不機嫌そうな目がじろりとあたしを睨んだ。だけど怯える気力もあたしには残っていなかった。

「海の真ん中に落ちてくるとはどういう了見だ。思わず拾っちまったじゃねーか。名乗れ、何者だ。お前の身柄はこの海賊船アクアマリー号船長、レイズ・ウォルスターが拘束する」