デザイド王国は戦いによって古くから領地を拡大してきた。現国王カールフェルトも例外ではなく、強大な軍力を求めた。

 国王には王子がふたり。兄イングヴァル、3歳離れた弟のサネム。

 王妃は兄弟が小さい頃、亡くなっている。遠征先のカールフェルト王に会いに行く途中、不慮の事故で、というなんとも悲しい話だった。

 王都ドルゲンではひとつき前、兄のイングヴァル王子が率いた軍が遠征先での戦いに勝利し、凱旋で湧いていたという。目つきが鋭く筋肉質で『デザイドの獅子』と言われる兄イングヴァルと、見た目も性格も正反対なのが弟、サネム王子。本が好きで鳥や花を愛し慈しみ深く、美しい王妃に似たのだと人々は語る。兄と違いもともと表にあまり出てこないサネム王子は、国民の目に触れる機会も少なかったようだ。

 その花嫁になるのはどこの娘なのか……内部事情を知らない人々は噂に花を咲かせているわけだ。

(獅子だか鳥だか知らないわよ)

 噂を耳にしたときは、心の中でそう思ったシュティーナなのだった。肖像画も興味がないので見もしなかった。もとより、誇張されて描かれているだろうし、信用などできないと思っていた。



「イエーオリ、ねぇ! イエーオリ!」

 屋敷の廊下を長い足で歩く男をコソコソと追いかけて、シュティーナは声をかけた。彼は家令のイエーオリである。

「シュティーナ様。いかがなさいました?」

 眼鏡に指をかけながら長身が振り返る。
 イエーオリは今日もグレーの髪を綺麗に撫でつけ、落ち着いた声で返事をした。目尻の皺が優しい雰囲気を増長させている。

「ねぇ。ちょっと聞いて欲しいことがあるの」

 背中にリボンがあしらわれ幾重にも布が重なった可愛らしい水色のドレスに身を包んだシュティーナを見て、思わず目尻を下げたイエーオリだった。髪は緩やかに結われ金色の花細工と赤い石の髪飾りがつけられていた。

「リン殿ではなくわたくしでございますか? あっ、お嬢様! 乱暴っ」

 シュティーナは首を縦にぶんぶんと振りながらイエーオリの腕を掴んで自分の部屋で引っ張っていった。
 イエーオリはシュティーナが産まれる前からスヴォルベリ伯爵に仕えていて、彼女のおむつを換えた経験もあるとか。

 そして、屋敷で一番シュティーナに甘い。使用人たちが呆れるほど。

「リンに言うと怒られそうなんだもの。黙っていてね」

「どうしたのでしょう。イエーオリに答えられることなのでしょうか」

 部屋に入るなりシュティーナは廊下にひとがいないことを確かめるとドアを閉め、イエーオリを椅子に座らせて自分も向かいの椅子に座った。ドレスがフワリと広がる。

「先日ね。リンと港町へ行ったの」

「スーザントですか。また脱走したのですね。わたくしが居ない時に」

「だ、脱走じゃないわ。『青葉の祭り』準備の進捗状況を見学してきたのよ。町の様子をお父様にお伝えしようと思って」

「そのお気持ち、伯爵様も喜ばれることでしょう。それはそうと『青葉の祭り』は今日からですね。準備の様子はいかがでしたか?」

「もちろん、賑わっていたわ。露店が立ち並んで、人出も凄く多かった」

「本番も行くおつもりなのですね」

 イエーオリの追求を、シュティーナはかわしたい。

「伯爵様も祭り最終日にはお帰りになりますから、皆様で出かけるのでございましょう。もちろんその時はイエーオリもお供いたします」

 にっこり微笑むイエーオリにシュティーナは詰め寄った。迫力にイエーオリは2歩ほど後ずさってしまう。

「話はそこじゃないの。いいから聞いて」

 シュティーナが頬をぷくりと膨らませたので「可愛くしてもだめです」と言いながら、イエーオリはとりあえず黙った。