総務部長の横に背筋をピンとして立つ。
「松本美咲です。よろしくお願いいたします」
総務部に所属する30人くらいの人を前に、少し声を大きくして自己紹介した。
緊張と恥ずかしさで、少しうつむきかけていた私に、総務部の先輩方は拍手して温かく迎え入れてくれた。
少し緊張がやわらいで、深くお辞儀すると、総務部長が課長を紹介してくれた。
「彼が総務課長の佐伯くんだ」
「松本さんの直属の上司になるよ」
総務部長の視線の先には、黒のスーツをビシッと着こなした背の高い男の人が立っている。
「総務課長の佐伯亮平です。よろしく」
「よろしくお願いいたします」
挨拶して佐伯課長を見上げると、課長はじーっと私の顔を見ている。
なんだろうと思い、首を傾げると、課長はハッとして目を剃らしながら、
「デスクに案内しよう」
と言って、歩き出した。
課長の後ろに続いて歩くと、フロアの女性社員たちの視線が集まる。
課長がいわゆるイケメンと呼ばれる部類で、独身、仕事が出来て優秀であるという情報がその日の昼休みに秘書室に配属された同期の伊藤詩織から入ってきた。

私のデスクの横にいる原田優子先輩が指導係で、朝から付きっきりで教えてくれている。
原田先輩は去年結婚されたばかりの新婚さんだ。
「私が独身なら課長狙っちゃうんだけどな~」
新婚さんがそんな事言って大丈夫なのかな?
っていうか、仕事以外のおしゃべりが多いのは気のせいかな?
「美咲ちゃんはタイプ的にどう?」
「へっ!?」
思わず変な声が出ちゃったよ。
美咲ちゃんって呼ばれてる。
いや、それはいいんだけど、タイプ的にってどういう事なんだろう?
よくわからない…。
とりあえず、仕事を…と思い、「原田先輩、仕事を…」と言いかけると同時に、いつの間に目の前に立っていたのか、佐伯課長に、
「原田さん、仕事して」
と一喝された。
焦る私とは正反対に、原田先輩は「は~い」と軽い返事。
アタフタしながら、私の総務部初日は終わった。

「松本さん、歓迎会を金曜日に開くんだけど、都合大丈夫?」
幹事らしき男性社員に声をかけられ、思わずギョッとしてしまった。
私は飲み会のような所に参加した事がない。
というのも、大学4年間は猛烈に勉強をしていた。
合コンにも行った事はない。
「美咲、絶対モテるのに~。彼氏作らないなんてもったいない~」
大学の友達によくそう言われたっけ。
私がモテる?いやいや、それはないでしょう。
身長155センチ、ごくごく普通の体型。
仕事の時は黒のロングヘアを後ろにひとつにまとめてる。
どちらかといえば地味、それが私。

原田先輩に歓迎会の事を聞いてみると、
「美咲ちゃん主役なんだから、参加よ~」
と幹事に返事されてしまった。
歓迎会は総務部だけでなく、営業部も一部参加するらしい。
なかなかの大人数だ。
「大丈夫かな?」
ひとり呟くと、デスクにいた佐伯課長と目が合った。
それは一瞬の事で、課長は男性社員に書類を渡しながら渇を入れていた。
課長は仕事の事になると、なかなか厳しい。
私はまだ仕事を覚える事に精一杯で、直接やり取りしていないけれど、総務部のフロアで課長の声が響く事は多い。

そして金曜日。

歓迎会はレストランを貸し切って、総務部と営業部の一部の合計60人くらいが集まって始まった。
営業部の男性新入社員6人は全員参加で、乾杯の前に挨拶する事になった。
総務部の新入社員は私ひとりで、初日のような緊張と恥ずかしさで、うつむきながら挨拶した。

新入社員は総務部長や営業部長と同じテーブルに座るようになっていたけど、女性新入社員が私ひとりだったので、私は原田先輩と同じテーブルに座った。
アルコールを飲んだ事がないので、ジュースやウーロン茶で料理を食べていると、
「松本さん、こっちのテーブル来て!」
突然手首を捕まれ、強引に連れて行かれた。
捕まれた手は冷たく、恐怖以外のなにものでもなく、振り払おうとしても、男の人の力には敵わなかった。
総務部長たちの座るテーブルに連れて行かれると、手が離れた。
「おい!柴本。お前、強引すぎだ!」
佐伯課長が睨んでいる。
「えっ!すみません」
営業部の柴本主任は自覚がなかったらしく、申し訳なさそうに私を見た。
「だ、大丈夫です」
全然大丈夫じゃないけど、そうでも言わないと、なんだか空気が重い気がする。
「課長、先ほどはありがとうございました」
しばらくして、課長にお礼を言うと、目を剃らしながら、
「あぁ」と短く返事した。
レストランの料理は美味しくて、歓迎会の時間はあっという間に過ぎていった。

司の手は温かかった。
私を安心させてくれる、幸せな気持ちにさせてくれる、そんな手だった。
司の手に触れたい。
叶わない想いを募らせながら、その日は少し遅めに眠りについた。