ケータイ小説 野いちご

短編「恋雨」

雨が降ると


「なんで雨降ってんの?」

って、私、今年の夏、この言葉を言ったの、何回目だろう。
たしか、3日前もびしょ濡れで帰ったし、その前にも何度かあった。

私が傘を持っていない日に限って雨が降る。

今日だって、塾に来るときは、きれいな夏空だったのに、終わって帰ろうと外に出た途端、雨が降ってきた。

あーあ、今日は絶対降らないと思ったのに。

「ま、いっか。雨が強くなる前に、バス停まで走ろう」

私は、頭にカバンを乗せて走り出した。

夏の雨だし、寒くはない。
けれど、徐々に湿って肌に張り付くシャツが、キシキシするのは嫌だった。

道の所々にできた水たまりを、飛び越えながら進むと目線の先に、バス停の屋根が見えた。

あと少し!

もうちょっとで着くところだったのに、横を走り抜ける車から、バシャッと泥水が跳ね上がった。

「わっ!」

避ける間も無く白いシャツに茶色の水玉が点々と。

「あーあ、汚れちゃったし、これじゃ、バスに乗れないや。今日も走って帰んなきゃ!」

雨脚は、強くなってきていた。
今日もびしょ濡れ確定。

そう思った矢先のこと、後ろからベルの音がして、今度は素早く左に避けた。

これ以上汚れたくない。

スピードを緩めた自転車が、隣を通り過ぎようとしたときだった。
私に向かって黒いバトンのようなものが、くるっと一回転して飛んでくる。

「え?わっ!」

陸上部の私は、目の前に飛んできたそれを思わず掴んだ。

バトン?

いや、違う。
これ、黒い折りたたみ傘だ。

視線を上げると、帽子のつばの先に雫をたくさんぶら下げた高校生ぐらいの男子と目が合った。

「それ使って」

えっ?
返事を返す間も無く、自転車は走り去っていく。

「あ、ちょ、待って!ねえ、これっ!」

彼は、振り返ることなく行ってしまった。

私は、手の中に残された、折りたたみ傘をぎゅっと握りしめる。

「どなたか存じませんが、ありがとうございます。使わせてもらいます」

空を見上げると、カバンだけでは防ぎようのないほど、雨が強くなっていた。

いかにも男子っぽい黒い折りたたみ傘を開くと、私にぶつかり放題だった雨から守ってもらえる小さな空間ができる。

私は、ゆっくり歩き出した。

ほんの一瞬目があった彼を思い出す。
かすかに胸が騒いだ。



あの雨の日から数日経った朝。
いつものように、塾へ行くため家を出た。

「暑い。そして今日も絶対雨は降らない」

8月中旬を過ぎても、まだまだ暑さは衰えず、歩くだけで汗がボタボタ流れ落ちてくる。

正面に見える入道雲で、視覚からも夏全開。

昼休み。

自動販売機でお茶を買い、窓から外を眺めると、嫌な感じの雲が見えていた。

「まさか」

予感は的中。
塾が終わって外に出ると、見上げた視線の先に、ぐんぐん近付く黒い雲。

やばっ!

とにかく雨が降り出す前に、バス停までたどりつかなきゃ!

いつ会ってもいいように、あの彼に借りていた傘は持っているけど、さすがに使えないし。

えいっと走り出して、数十メートルは順調。
その後は案の定、大粒の雨。

「あー、もう、なんでーー!」

私は、カバンを頭に乗せて、バス停まで急いだ。

バシャバシャバシャ

走る私の靴の音。
足だけは速い。

「雨女」

……え?

声がした。
走る私の横には、いつの間にかあの彼がいる。

彼は、自転車で並走しながら、自分がさしていた傘を私に差し出してくれていた。

「ほら、これ」
「えっ?いいです、だって……」

私は躊躇する。
カバンには、借りたままの折りたたみ傘があるから。

「じゃ、とりあえず入って」
「……あ、は、はい……」

このままじゃ、彼がびしょ濡れになってしまいそうだったので、彼の差し出す傘に、遠慮しながら体半分中に入った。

「あの、前に借りた傘、お返しします」

急いでカバンから傘を取り出すと、彼は驚いた顔で私を見る。

「持ってるならそれ使えよ」
「いや、でもこれ、あなたのだし、勝手に使えません」

「じゃあ、やるよ」
「えっ?」
「勝手に使って」

彼はそう言うと、自転車をゆっくり走らせ始めた。

「えっ?ちょ、待っ……」

私は、小さくなる背中を見送りながら、手の中の黒い折りたたみ傘を握りしめた。

振り向きざまに彼が言う。

「早く使えーーー!」

雨はどんどん強くなる。
私は、彼の傘をそっと開いた。

傘が開くと同時に、心の中でも何かが開いた。

あの彼にもう一度会いたいと思い始めて数日後、塾は最終日を迎え、私の夏休みは終わった。

空を見上げて呟く。

「あれから、一度も雨が降らないって、どう言うことよ?」

もちろん、彼にも会うことはなかった。
あの傘は、出番なくカバンの奥にしまわれたまま。

「私を雨女って言うなら、キミは雨男だ」




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