私は左利きの人が好きだ


どんな容姿だろうと性格だろうと、
左利きというだけで
どうしようもなく惹かれる


私のバイト先の左利きの男性が3人

2個上の企画力のあるイケメン、
一個上の面白い高身長男子、
同い年の顔が整っている男子。

年齢だって性格だってバラバラなのに

なぜか目が追ってしまう。


右利き仕様のハサミを
使いづらそうに使っている彼らが
愛おしい。


左利きの人は不器用な人が多い気がする。


日本人は右利きが圧倒的に多い。

世界的にもそうらしいが、

日本では右利きが便利とされ、

小さい頃は左だったが直された…という人を
多くみる。

私もその1人だ。


そうつまり、私は左利きの人に

昔の自分を見ているのかもしれない。

人と違う何かを生まれつき持っているサウスポー。

なぜ私は直されてしまったのか。

真剣に親を恨んだ。

私が左利きのままだったなら

きっとこの世界も違って見えただろう。


中学の頃左利きというだけで

レギュラーに選ばれたあの子は
私だったかもしれない。


好き…


というより憧れに近いそれは、

きっと戻ることのない昔の自分を当てはめて

ただもがいているだけなのかもしれない。



過去は2度と戻らないからこそ美しく見え、


帰らないからこそ悔しくなる。


ぐちゃぐちゃにしたくなる。



人生はダイビングと一緒。



潜って上を振り返れば


太陽が波に揺られてキラキラ輝いて不確かな美しさを見出せる。

それと同時に鼻に水が入りツーンとした、

涙目になり目頭を押さえたくなるような

堪え難い痛みを伴って急いで下を向くだろう


だが下は真っ暗。


突き進むのが怖くなり、

立ち止まり上に上がろうとする。



でも、そこで気づく。



すでに上も真っ暗ということに。



とっくに太陽の光など見えず

息もいつから止めていたのかもわからず、

自分がどこにいるのかさえ定かではなくなる



どれくらい上がれば空気に触れられるのか、

それまで息がもつのか。



あるいはどれほど下に行けば
海底にたどり着けるのか、
たどり着くまでに水圧にたえられるか…




私たちはずっと泳ぎ続けている。



潜り続けることでしか前に進めない

私たちは都会という海で溺れている。


死んでいる。



言いたいことも言えず、

言おうとすれば泡となり

体内に海水が入りどんどん体に溜まって沈んでゆく。



SNSとは
ソーシャルネットサービスの略ではなく


「Shout Never Self 自らを叫べない」



の略の間違いではないだろうか。

別にscreamでも良い。


お気に入りをもらうことでのみ

自分の行動、友達の存在を認めてもらっている。


なんの意味がある?


あなたがどこの誰といようが、
何を食べていようが誰も聞いていない。


美しいまでの自己満足。


それを誇示することでしか
自分の地位を保てないのなら


そんなもの捨ててしまえ。


他人からしか自分の価値を見出せないひとは


可愛いだけで美しくない。


綺麗じゃない。


どうしようもなく滑稽で可愛くて

惨めで守りたくてどうあがいても人間だ。


ハートの数だけが彼女たちを支え、

彼女たちの過去を彩っている。



また私はそれをみて、
嫉妬して、
羨望の眼差しで、
唇を噛み締めてる、

そんな人が好きだ。

どうしようもなく愛おしい彼らは

きっと自分が周りより劣っていて不幸だと考えている。



大丈夫だ。

安心しろ。


友達を友達と書いて周りに見てもらい、

それを証拠にしなければならない関係など


くそくらえだ。


周り公認のカップル?


ふざけるな。


本当に幸せな奴らは絶対に口外しない。



誰に見せつけることなく、

事細かに静かに愛を重ねる方が

よっぽど利口で美しく幸せだ。




間違えても良い、だけど忘れてはいけない。




画像などただのbyteの集まりにすぎないこと


文字など人差し指一つでどうにでもなること


周りなど自分以外に興味を持つ奴なんかいないということ。



あなたは周囲に好かれたいか、好きでいたいか?