飯島香(いいじまかおり)は新宿ゴールデン街の行きつけの店「ロンソン」で隣に座った30代半ばの男の話を聞いていた。店内に客は自分を入れて二人。
マスターの吉田玄太(よしだげんた)は無言で洗い物をしている。

「だからさー、やっぱ出会いってのはタイミングだと思うんだよねー。運命っていうかさ」

この禿げそうな直毛の男はさっきから同じようなことばかり言っている。タイミングがどうとかフィーリングがどうとか。

ロマンチストなんだな。そして頭が悪い。香はそう思う。

さらに男は続ける。

「男は浮気する生き物なんだよ。一途だとか言ってるやつは大体不細工なんだ。浮気する機会がないっつーの?だってタイプの女性が目の前にいて、好きにしてって言ったら抱かないわけにはいかないよね?」

お前はハゲかけだろうが。そう言いたいが我慢して

「それはそうだねー。一理ある!やるじゃん!」

と、いつものハイテンションで同意したフリをする。

「俺さー、少林寺やってたからさー、喧嘩強いんだよね。負けねーよ誰にも。でも酒と女には弱い」

あははと男は一人で笑っている。

サムい。こいつ相当サムい。それに少林寺のくだりを喋っている所で鼻を触っていた。多分嘘だろう。こいつは少林寺をやっていない。

香は別段大学で心理学などを習っていたわけではなかったが、本能的に人の心理を探ったり、嘘を見抜いたりすることができた。

眉が上がる。
前髪を触る。

そういった些細な仕草から感情を読み取る。
前に心理学の本を読んだ時、香は愕然とした。

「これ、全部知ってる!」

そこに書かれていたことは、殆どが元々香が自分の中では当たり前だと思っていることだった。こんなことをわざわざ本にして売るやつがいるのか。心理学者なんてこんなものなのか。

それからも、男は「俺血液型当てられるよ」だとか、「兄弟いるかどうか分かるんだよね」だとか、くだらないことを喋っていた。

バカな人間を分析したり観察したりするのは楽しい。イタい人間と話すと、リアルタイムではイライラするが、後々面白いエピソードになったりもすることを香は知っている。

しかし、こいつには、

飽きた。

ただただサムい。そして自分のことを面白いと勘違いしている。これはしんどい。歌が上手いと思い込んでいる歌が下手な人間とカラオケに行くくらいしんどい。

そんなことを考えていたら、偶然にも男が

「カラオケ行かない?」

と、言ってきた。どうせ下手くそだろう。

「カラオケかー。あんま私歌わないからなー」

そう言って断ろうとした刹那男は香の肩に手を回してきた。

「触ってんじゃねーよ!禿げかけがコラ!帰れよお前!」

思わずキレた。

男はあたふたしながら

「え?え?なんだよ?べ、別になんもしてねーだろ。ねーマスター?」

さっきから黙ってグラスを拭いていたマスターに助けを求める。

「いや。香ちゃん嫌がってるだろ。香ちゃんは大事な常連さんなんだ。君とは砂場で子供が作った山とエベレストくらい違う。帰るのは君だ」

スカッとした!さすが、マスター!言ってほしかったことをそのまま口に出してくれた。頼りになる。

男はぶつぶついいながらお金を置いて出ていった。

「マスターありがとね!」

「いやー、入ってきた時から俺も気に入らなかったんだよね。うちみたいな一見さんオッケーの店はこれだから困る」

「だよねー。だからって会員制とかにすると儲けが減るもんね」

「そうなんだよな。まー、しゃーない。とにかく俺は害のある人間を排除しただけだ」

「マスターカッコいい!」

そんなことを話していると一人のつばの大きい帽子を被った目にひび割れメイクを施している男が店を覗いているのが見えた。

マスターは長袖の腕を捲って

「よし!気を取り直してお客さん迎え入れるぞ!」

と言った。

帽子の男が入って来る。

「あ、あのー、入れますか?」

「入れるよー!いらっしゃい!若いね!ヒビちゃんでいいかな?あだ名だよあだ名。」

男はマスターの勢いに気圧されたようだったが、

「あ、このメイクですか。一応ハロウィンですからね。そう呼んでくださるなら毎回これで来ようかな」

少し照れながら言う。

「あはは!そうだね!毎回そのメイクだと忘れなくて済む」

ここから30分ほどの彼との会話はさっきの禿げかけ男との会話とは雲泥の差で楽しかった。
ゆったり喋るがインテリジェンスがある。自慢はせずに自分の笑える失敗談を語る。嘘も言ってるようには見えない。

香は

「あんた、あ、ヒビちゃんって面白いね」

と言った。