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 そこには、身長170センチ程の黒い服を身に纏った、見知らぬ人物が立っていた。

 すらりとして均整の取れた体をしている。髪の毛は色素が薄く、顎のラインに合わせたボブで、濃いブルーグレーの大きなゴーグルをしている為、顔はよく判らないが恐らく整った顔立ちと窺える。

「君が竹宮理奈?」

 理奈に返事を求める。

「え? はい」

 初対面なのに、どうして自分の名前を知っているのだろう。理奈は不可解に思ったが、正直にそう答えた。

「では、早速説明に入ろう」

 相手はそう言って腕組みをした。

「君の担当のディスポーザーだ。私の仕事は赤い糸に背く者を修正する事。今、君は岐路に立っている。本来、結ばれるべき相手と、突如道を外し接近して来た者。どちらを選ぶかは君の自由だ。阻む者を私が始末する。さぁ、答えを出してくれ」

 いきなりスラスラと話し始められても、全く状況を把握する事が出来なかった。


 一体この人は何を言ってるんだろう?


 理奈には、この人物が日本語を話しているのかどうかさえも、不安に思えてきてならない。

「あ、えっと…何?」

「…………」

 その人物は、理奈の言葉に呆れた顔をする。


 あ! この人、今あたしの事バカにした!


 あまりにも失礼な態度に、理奈は腹を立てる。

 一方、突然の訪問者は、理奈には事細かく説明をしなければ、きっと理解は出来ないであろうと判断し、今直ぐ答えを貰うのは不可能だと諦め、ベッドの上にゆっくりと腰を下ろした。

 その横暴な態度に、理奈は怒りに顔を歪めた。


 断りも無く、いきなり人の部屋に入って来たかと思うと、挨拶も無しに一方的に自分の言いたい事だけを言って、あたしがそれに対して理解出来てないと気づくと、小バカにしてベッドに寛ぐ。一体何様のつもり? ていうか何者?


 次第に頭に血が上ってゆき、遂にその不満が爆発してしまった。

「ちょっと! 勝手に人の部屋で寛がないでくれる? あっ、靴! なんで土足で上がってんの? あなた外国人? 日本ではね、室内を土足では上がらないのよ。ワカリマスカ?」

 両の掌を上に向け妙なイントネーションで話す。 

 相手は先程、自然な日本語で説明していたのだから、日本の習慣は理解しているものと思えるが。

「部屋を汚さないでくれる? て、ゆうより誰? なんでいきなり人の部屋に入って来てんのよ? …不法侵入で警察に通報されても仕方ないよね?」

 身を乗り出して強い口調で言う。

 話している内に頭の中は混乱して、自分でも何を言っているのか判らなかったが、退く訳にもいかず脅し作戦に出てみた。

 しかし、そんな言葉など耳には届いていないかの様に、相手は少しも動揺しておらず、ゆっくりと腰を上げた。そして、長くスリットの入った、腰から四つに分かれた裾を、金魚の尾鰭の様にひらひらと躍らせて、理奈の横を素通りする。

 立ち止まった所には、普段裕弥が勉強を教える時に使用している折りたたみ式の椅子が、パイン素材のラックに立て掛けてある。その訪問者はそれを手にすると、机に背を向けて座っている理奈の正面に広げて置き、腰を下ろして脚を組み腕組みをした。

 正直、コドモ相手にむきになる程幼稚にはなれず、自分に与えられた仕事を早く済ませる事にしか意識は働いてなかった。興味の無い相手にどう印象悪く思われようと、大した問題では無い。

 訪問者は落ち着いた口調で話し出す。

「今から話す事に対して信じるかどうかは君の自由だ。だが、私は君の出す答えによって動かなければならない。私の仕事に好意的に協力してもらえるだろうか」

 相手の改まった物腰に、理奈も気持ちを鎮めて耳を貸す。

「協力って…あなたの仕事は何?」

「先程も話したが、私はディスポーザーをしている。運命の赤い糸って信じる?」


 同じ赤い糸で結ばれてる人と結婚するってやつ? 見えればいいけど見えない物を信じるかって訊かれても…。


「…………」

 理奈は唐突な質問に戸惑っていた。

「一部には縁の無い者もいるが、人間の殆どは赤い糸で将来を共にする相手と結ばれている。君もその中の一人だ。私には君の赤い糸が見える」

 言われて、理奈の心臓は大きく鼓動した。


 あたしの赤い糸? 一体、あたしは誰と結ばれているんだろう? もう、その人とは出会っているのかな? でも、それが見えるって? ……この人は超能力者なのだろうか? 予知能力が使えるとか?


 非現実的な話しに、理奈の頭は混乱していた。

「あの…ディスポーザーって何?」

「解り易く言うと始末屋だ」


 ?。 全然解り易く無いんですけど…。


 理奈は眉毛を反り返す程怪訝な顔をし、無言で相手にもっと詳しい説明を求めた。それを目にした訪問者は、少々呆れた様子で鼻から息を吐き、淡々と説明を続ける。

「中には自分の運命に逆らう者もいてね。他の運命に割り込んでしまうんだ。赤い糸は一つしか存在を許されない。不要な方を私達が始末する。そして、君も、今その選択に迫られている。君は、どちらかを選ばなければならない状況に立たされている。私が君の赤い糸を担当する、ディスポーザーのa2だ」

「a2?」

「私の名前だ。さぁ、どちらを選ぶか、その権利は君にある。本来結ばれるべき相手か、それを阻止しようとする予定外の者か、その糸を選んでくれ」

「そんな…急にそんな事言われても…! 相手は? 相手が誰だか判らないのに選べ無いよ。相手の事を教えて頂戴」

 理奈は膝の上に置いた拳に力を入れ、身を乗り出して、その答えをせがんだ。

「それは企業秘密でね。教えられない事になっている」

「そんな理不尽な!」

 理奈は窮地に立たされ、思考回路がパンク寸前だ。自分の運命がかかっている。食後のデザートを決める様に、その日の気分によって簡単には選べ無い。後悔しない様に、慎重に考えなければ。

「……時間を、考える時間を頂戴」

「どのくらい?」

「…三日」

 理奈は3本の指を立てて目の前に突き出した。

「…判った」

 微妙な間があり、言葉とは裏腹にa2の声色は重い。

「じゃあ、三日後にまた来よう。それまでこれを身に着けて」

 そう言って立ち上がり、a2はパンツのポケットから何かを掴んで出し、それを理奈の前に突き出した。理奈はそれを受けようとa2の拳の下に広げた手を差し出す。

「指輪?」

 その手には小さな銀の指輪が置かれていた。

「それを小指に」

 何か意味があるのかと指輪の内側などじっくり見回した。が、やや幅が広いだけで、装飾も無くシンプルな物だった。

 言われるままに、理奈は右の小指にそれを嵌める。そして視線を戻して驚いた。


 マジシャン? 猫?


 今、そこに居た筈のa2の姿は、足音も無く消えていた。

 何事も無かったかの様に静まり返った部屋とは反対に、理奈の心はざわついている。まだ湿った髪の毛を触りながら、先程までa2が座っていた椅子を見つめた。

「…………」

 理奈は不安で仕方なかった。

 a2には、三日で答えを出すと言ったが、本当に三日で自分にとって良い結果となる答えが出せるのだろうか。どんな相手か判らないのに、どちらかを選ばなければならないのだ。一体、何を基準とすれば良いのか、いくら考えても答えを出せそうに無い。

 不図思った。これを狐につままれるというのだろう。現実の世界なのか夢なのか自分の見ている物が不確かに思えてくる。

 ただ、僅かに開けていた窓の向こうから、夜風が何時もと同じ大好きな金木犀の香りを運んで来た。それでこの不安な気持ちを落ち着かせようと、理奈は目を瞑り深呼吸をした。