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「じゃ、また明日」

 そう言って、裕弥は玄関のドアノブに手を掛けた。

「ありがとうございました」

 理奈は満面の笑みで裕弥を見つめる。

 落ち着いた雰囲気のこの青年の名は、麻生裕弥(あそうひろみ)、二十歳。今年の春から理奈の家庭教師をしている大学2年生。少し癖のある短めの髪。整ったアーチ型の眉。二重瞼の大きな黒目が実年齢より幼さを表しており、口角の上がった厚みのある唇は潤いを含んでいる。男らしいというよりは、どちらかというと和らかな顔立ち。身長170センチの中肉中背。服装は、白地に袖が水色のラグランTシャツに、ベージュでハーフのカーゴパンツ。カーキ色のショルダーバッグを肩から斜め掛けにし、黒のコンバースのスニーカーを履いている。見るからに好青年だ。

 裕弥はドアを開け、三歩外に出てから理奈に向き直った。

「おやすみ」

 清潔感溢れる爽やかな裕弥の笑顔に、理奈の鼓動は反応し、高鳴る。

「おやすみなさい」

 心情を裕弥に悟られまいと、無表情を装おうと努めるのだが、声が心に反応し、裕弥を見ているだけで、理奈は無意識に笑顔になってしまう。

 裕弥は優しく微笑み、右手を挙げて理奈に振ると体を反転し、その場を去った。

 濃紺の透明感のある空に星が疎らに輝き、月は何時にも増して大きく姿を浮上させている。穏やかに流れる風は、何処からか金木犀の甘い香りを運んできて、理奈の心を優しく包み込んだ。

「はぁ…」

 金木犀の香りのせいか、胸の奥が締め付けられるように切なくなり、念わず小さく溜息を漏らす。そして、裕弥の背中が小さくなるまで、理奈は手を振って見送ったのだった。