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「いました。…どちらとも、まだ存在しています。…恐らく。はい…、了解」

 低く、響きの良い声で返答すると、速やかに実行へと遷す。

 均整の取れた長身の広い歩幅に合わせ、黒い上着の裾がテンポ良く翻る。そして前方を歩いていた彼との距離は徐々に縮まり、直ぐにその姿を捉える事が出来た。

「住田要さんですね」

 声を掛けられ振り返ると、そこには身長180センチ以上はあるであろう、三十代半ば程の全身黒ずくめの人物が立っていた。

 ディスポウザー、E33。清潔感の漂う短い黒髪に小麦色の肌。細く知的な眉。切れ長の奥二重瞼。鼻筋の通った高い鼻。歯並びの良い白い歯に魅惑的な薄い唇。182センチの長身に長い手足。広い肩幅。厚い胸板。ゴツゴツとして血管の浮き出た大きな手に、形の良い短い爪と長い指。渋さの中に危険な香りを感じさせる。

「…え、はい?」

 見覚えの無い、しかも相手の出で立ちに圧倒され、要は警戒視して答える。

 そんな彼の心情に気づき、誤解を招かぬ様、E33は口元に微笑を含み丁寧に接する。

「貴方にお尋ねしたい事がありまして、少々お時間頂けますか?」

 丁寧な言葉とは裏腹に、冴えた光を浮かばせる眼が、断われぬ空気を醸し出している。

「はぁ…」


 新手の宗教か? 何かの勧誘か? 厄介なのに捕まったな…。


 学校に遅れない様に歩きながら、疑心を抱いた要は興味なさそうに答えた。

 住田要。近郊の専門学校に通う19歳。伸びた天然パーマの煩わしそうな髪。自然に放置している三角眉毛。長い睫毛に眠たそうな二重瞼の垂れた眼。口角が下がった太い唇。身長172センチの痩せ型。力の抜けた印象を与える少年だ。

 相手が協力的では無いと露骨に態度に出ていたが、任務遂行の事だけを考え、E33は表情を変える事無く相手の横に並び歩幅を合わせた。

「君は運命の赤い糸を信じる?」

「はぁ?」

 突然、突拍子もない事を訊かれ、呆れた様に驚く。

「もし、運命の赤い糸が何らかの事情で二本になったらどうする?」

 呆気に取られている要を余所に、E33は視線を合わせる事も無く、正面を向いたまま淡々と話を進めて行く。

「…どうって…」

「本来結ばれるべき相手と、突如現れた人物。どちらかを選ばなければならないとすれば、君はどちらを選ぶ?」

「………」


 一体何を言ってんだ、この人は? …赤い糸とか言って…毛糸屋の宣伝か?…て、そんな訳無いか。浮気の意識調査とか? にしても、朝っぱらからするような事じゃないだろ? それに人選ミスじゃね? オレに訊いてどうすんだ、っての!


 質問には全く興味を示さず、要も視線を合わさない様に俯いて、煩わしそうに無視をしてそのまま進んで行く。そんな態度を取られたからといって、素直に引き下がる訳もなく、E33は顔色一つ変えず平然と構えている。

「選ぶんだよ、どっちだ?」

 僅かだが語尾が鋭くなった。それに反応して要は相手の顔を見上げた。

 その時、相手と目が合う。

 相変わらず口元には笑みを含んではいるが、その眼光は鋭かった。要は背中に悪寒が走るのを感じ、ここは逆らわない方が無難だと思い、相手を怒らせないよう態度を改める。

「え、えっとぉ…、そういうのは余り拘らないので、どちらでも良いです」

 あからさまに感情を声に表すと、引き攣った愛想笑いを浮かべてみせた。

「それで、どっち?」

 当人の意思を無視して糸の相手を勝手に選ぶ訳にはいかない。はっきりとした答えを求めてE33はもう一度訊き直した。

「あ、じゃあ…本命で…」

 要は質問の意図を理解していなかったが、とにかく相手を怒らせない様にして、早くこの場から逃れる事しか頭にはなく、それで深くは考えずに適当に答えた。

「そう、御協力ありがとう」

 E33は笑顔で言って、要の肩をポンと叩く。そして踵を返すと足早に去って行った。

 取り残された要は安堵と呆気に取られて半開きに口を開け、去って行く相手の後ろ姿を見送った。

「恐えぇ…」

 念わず口から零れた。



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「…そうか、ではそのまま始末に入ってくれ。頼んだぞ」

 通信を切り、大きく息を吐く。

「一体、何処へ消えたんだ? まだ行方は判らんのか?」

 司令室で痩せた高齢の指揮官が、嗄れた声で部下を急き立て、苛立ちを顕にしている。

 壁一面の防音硝子で通路と隔ててあるその部屋は、無機質な機材に囲まれ、周囲では人が慌ただしく出入りしており、緊迫した空気が漂っていた。

「何度呼び出しても、通信は途絶えたままで応答はありません」

 指揮官の横に座っている、短髪で小柄な人物が、耳に取り付けているイヤホンマイクを触りながら、指揮官に視線を送る。

「怪我と高熱を併発して体力も低下しています。解熱鎮痛剤を服用していますが、その効果が切れたまま放置しておくのは危ういです」

 背中まであるウェーブした髪を一つに纏め、細長く小さなレンズの眼鏡を掛け、白衣を着た医師らしき人物が症状を語った。

 それを聞き、指揮官は眉間に皺を寄せる。監視カメラで録画された画像には、病室を出て行く人影が捉えられており、それをスロー再生しながら、皺の多い痩せた指で画面をなぞる。

「…全く、その体で何処へ行ったんだ…」

 画面に向かって、独り言の様に声を押し殺し言葉を吐く。その眼には強い責任感と共に、哀矜の光が垣間見えた。