【ホッチキスぽっち】





 きみは今日も、満面の笑みで、オレを惑わす。

「好きですよ、岸先生」

 でもオレは知っている。この子――榛名菜緒の言う「好き」とオレの「好き」では、意味に相違があるということを。

「わたしは岸先生のことが大好きですから、今日はもう帰りますね。じゃあ」

「はい、ちょっと待つ」

「……」

 待てと言われて素直に待つきみが可愛い。

「せっかく夜なべして榛名のためだけに作ったんだから、持って帰ってよ」

 オレも負けじと満面の笑みで、紙の束を差し出す。彼女もさらに満面の笑みでオレを見上げる。

「岸先生」

「うん」

「先生、大好きですよ」

「それはありがとう」

 にこにこ。にこにこ。満面の笑みのまま、オレの次の言葉を待つきみが可愛い。

「……そんな満面の笑みで見上げても駄目」

「ちぇっ」

 途端に笑みは消え、眉間に皺が浮かぶ。可愛い顔が台無しだ。

「ちぇっ、じゃない! ほら、プリント持って!」

「断言します! こんな量一人じゃ無理です!」

「仕方ないでしょ! 二年のときから七回連続赤点取って、補習にも来ない、週末課題も未提出、最近は授業もサボりがち、こんなんじゃ単位あげられないよ!」

「わたしは日本人です! 英語なんて分かりません!」

「とにかく! お願いだからこのプリント頑張って! ちゃんと単位取って卒業しよう!」

「ですから! こんな量一人じゃ無理です!」

「榛名の補習プリントなんだから、榛名が一人でやらなきゃ意味ないでしょうが!」

 いつまで経っても平行線。時たま廊下を通る生徒が教室を覗き、くすくす笑いながら「和真先生ファイトー」「菜緒ちゃん負けるなー」と声をかけて行く。
 榛名はその呼びかけにいちいち反応して、拳を握って「頑張る!」と答えていた。
 一体どうすれば良いのか。オレは小さくため息をついた。