「沼川さん、急なことなんですが来月から担当者が変わることになりました」

「え? 嘘、どうしてですか」

 とある喫茶店の窓際の席。そこに向かい合って腰をかけている私と、栗色の髪をひとつに束ね、お洒落な丸眼鏡をかけている女性。今年三一歳になる私よりもひとつ年上の三二歳の彼女が表情一つかえず放ったひと言に私は目を見開いて驚いた。

「沼川さんには大変言いづらいですが、今月末に入籍することとなりまして」

 “言いづらい”なんて言いながら、躊躇することなく続けて“入籍”という言葉を口にした彼女に、私の眉間にはしわが寄った。

「そうなんですね。まあ、遅かれ早かれそうなるとは思ってましたけど」

 私は、テーブルの上に置かれているアイスカフェオレをのどに流し込んだ。人妻になる予定である彼女にふと目を向けると、心なしか、彼女はいつもよりもずっと幸せそうで、とても魅力的な女性に見えた。

 彼女、吉原知代は、“沼川千草”として小説を書いている私の担当編集者である。沼川千草として過ごしてきた七年のうち五年は、ずっと彼女に支えられ、励まされてきた。そんな彼女の恋愛事情は、きっと他の誰よりもよく知っている。それほどに私たちは一緒にいたし、互いに信頼し、理解しあっていたのだ。

「知代さん」

「ん?」

「おめでとう」

 私がそういうと、知代さんはくっと口角を上げて「ありがとう」とだけ言った。