「いいわ」

 紡がれる声が、周囲を振るわせる。

「本気で、やってあげる」
 明らかな敵意と、憎しみをこめた声。まるで、それそのものが形になったような声。
 応えるように、トランプが彼女の周囲を回り始まる。青い色だったトランプが、色を変えていく。

 毒々しい真っ赤色。
 まるで、血のような色へと、変わっていく。
 トランプは、彼女がかざす右手に集まっていく。収束する、真っ赤な刃の渦。まるで燃え盛る炎にも見えた。

「後悔するといいわ!」

 彼女は、それを死姫に向かって投げつける。放たれた五十三枚の刃が、一直線に死姫に向かっていく。

「……!」

 思わず声を上げかける僕に、青年が肩越しに振り返った。その瞳が、心配するな、と言っている。
 

 けれども。
 
 カードが、死姫の小さな身体に次から次へと突き刺さる。彼女は、それでもたたずむだけ。
 後から後から突き立ってくる刃を、まるで受け止めるみたいに。
 ザク、ザク、ザク、ザク……と突き刺さっていく。

「あ……ああ」

 声を上げない彼女の変わりに、僕が声を漏らす。見ているだけで、耐えれらない。どうして、
死姫も、他のふたりも―
「ねえっ!」
 思わず叫んで、何か言葉を続けようとした―時だった。
 
 五十二枚目のトランプが突き立って、今まさに、五十三枚目が死姫の身体に届こうといった瞬間に、 
 

「――シデン!」
 
 彼女が、その名前を叫んだ。

「おうさ!」

 応えて、彼が吼える。飛び上がる青年―シデンの、はるか宙に舞った長身が、突風を巻き起こして弾け飛ぶ。
 その身体が、細かなかけら―まるで無数の花びらみたいになって、渦巻いた。
 薄紫の、花吹雪。それは、死姫へと向かっていく。
 死姫に襲いかかっていたカードを吹き散らして、その身体を覆い尽くした。そのつま先から頭まで、全身を覆い隠す。
 花びらが、形を変えていく。彼女の身体に張り付いて、その姿が変わっていく。
 

 そうして。
 服装を変えた死姫――いや、紫姫(しき)が、そこにいた。
 紫色の袴姿。
 その手には、抜き身の日本刀。
 つややかな黒髪を、なびかせて。
 威風堂々、悠然と。
 たたずんでいた。
 
「それでは」

 紫姫は、自分の背丈くらいはある長さの刀を軽々と片手で持ち上げ、その切っ先を少女に突きつけた。

「――終わりに、しましょうか」
 

「く……」

 一瞬、呆然としていた少女が我に返る。その手を動かすと、周囲に散らばっていたトランプが浮き上がり、また手元に戻っていく。

「かっこつけないでよ!」

 今再び、トランプを投げつける。さっきまでは無防備の紫姫を切り裂いて、薙ぎ払った刃の群れ。けれども、今度は。
 紫姫が刀を振るうだけで、あっさりと消え去ってしまった。五十三枚全部が、まるでただの幻みたいに。

「もう、無駄……」

 刀を下げて、

「――」

 その唇が、何かをつぶやいた。僕の耳には意味を持って届かなかったけれども、少女にはわかったみたいで――息を飲む様子がはっきりとわかった。

「……何?」

 初めて、その少女に動揺が走った。紫姫が一歩進み出ると、おびえたように後退る。

「思い出さない?」

 紫姫が、そっと口を開く。

「あなたの名前……あなたが、人間だった頃の名前だよ」

 彼女を、いたわるように。
 僕には、そう聞こえた。

「そんなの、知らないわ!」

 叫ぶ少女、その手に再び生まれる凶器札。

「消えなさいよおっ!」

 投げつけるものの、またもあっさりと振り払われる。

「……そ、んな」

「彼を連れて行ったところで、あなたは満たされない。もう現世をさ迷うのはやめなさい。自分の名前を思い出して『――』として、黄泉路の旅へと、発ちなさい……」

「う……うるさい! うるさい! うるさい!」

 髪を振り乱して、名前の知らない少女は絶叫した。

「うるさい! ウルサイ、 ウルサイ……!」その顔を、くしゃくしゃにゆがめて――

「消えろ! 消えろ! 消えろーっ!」

 のけぞって、声を振り絞る。長い黒髪が真っ赤に染まって、まるで生きているみたいに蠢き始めた。
 その瞳がますます赤く染まり、口が耳まで裂けていく。腕が、ぐううっと伸びて、細かった肩が盛り上がって、二倍以上に膨れ上がる。

「……!」

 少女は、人間の姿を捨てていく。より化け物じみていくその姿に、思わず息を飲む僕。けれども、紫姫も、シロも平然としていて――いや、紫姫は、

「…………」
 
 多分、ほんの小さな溜め息をついた。
 哀れむように、きっと。
 とても哀しそうに。