「それじゃあ」

 分かれ道で、真姫先輩が声をかけてくる。
 夕暮れの帰り道、いつもの別れの三叉路。あたし達五人はここでそれぞれ別れる。

「じゃあね」

 あたしと和秋に振った手を、さりげなく真姫先輩の肩に回す卓也先輩。仲良く連れ立って踵を返す真姫先輩と卓也先輩。
 小柄な少女と、背の高い少年はとてもお似合いだった。
 そうして、後に続く翔子先輩に――

(あれ?)

 ふと、あたしは違和感を覚えた。三人の背中を見て、胸がざわめいた。今日の放課後にも覚えたあの感覚に似ている気がした。 
 その正体を、考えていると、

 
「やれやれ、情けねえ」

 なぜか、殊更大きく耳に届いた溜め息。
 それが、あたしの思考を中断させた。

 
「未練たらしいたら、ありゃしねえぜ」

 視線を向けると、あたしのすぐとなりで肩をしょげさせている和秋の姿。あたしの意識が、切り換わる。

「あはは、略奪愛にでも走ったら?」

 あたしが冗談混じりにそう言うと、

「できたら、いーんだけどな」

 和秋は苦笑する。
 そんなことを言っても、本心ではないことはわかっている。

「ま、いーんじゃないの」

 あたしは軽く言いながら、その背中をバンバンと叩く。

「想ってるだけなら、自由だし。気の済むまで片思い続けてればいいじゃないですか」

「ちぇっ、気楽に言ってくれるよ」

 そう言って、また苦笑する。けれど、今度は満更でもなさそうだった。

「けど、そう言ってくれると開き直れるな」

 そして、にっこりと笑う。

「さんきゅーな」

 その笑顔に高鳴る心を隠して、

「あはは、まー感謝しなさいよね」

 心の痛みを押し殺して、あたしはからからと笑った。

 
 真姫先輩が、和秋の想いを知らないように。
 和秋も、またあたしの想いを知らない。
 言ってないから。
 伝えていないから。
 ずっと、隠しているから。

 
 だって、今更。
 
『俺は、ただの後輩だし……突然そんなことを言われても、先輩困るだろ? きちんとした彼氏だっているんだし……』

 だったら、きっと。
 気安く付き合ってきた幼馴染みに、突然に恋心を打ち明けられたって戸惑うだけだ。

(……そうでしょう? 和秋)

 だから、あたしもきっと。ずっと、自分の気持ちを隠し続ける。隠して、殺して、演技を続けてみせる。
 ずっと、ずっと。気安い、ただの幼馴染み。与えられた役を、演じ続ける。ずっと姉弟みたいに育ってきた、恋愛感情の埒外の相手として――
 
(それは、先輩がいなくなってもずっと)

 
「……え?」

 ふと、そんなことを考える自分にはっとする。

「どうしたんだ? あゆか」

「……え、ううん。何でもないよ」

 眉をひそめる和秋に頭を振りながら、考える。
 なんで、どうして。
 自分は、先輩がいなくなるなんてそんなことを考えたんだろう。
 それは、当たり前だ。いつかは学校を卒業して、あたしや和秋の前からいなくなる。それは、当然の未来で決定事項だけど。

 何かが、違う。
 たった今あたしの頭によぎった考えは、何かが違う気がした。決定的に、絶対的に。 
 何かが、違う?
 それは、嫌な予感めいて。
 それが、不吉な予言めいて。
 

「…………」

 気が付くと、あたしは携帯電話を取り出していた。
 そうして、自分でも理由がわからないまま、内容を確認する。通話履歴、着信履歴……それから、何よりもメールの送受信の履歴を。

「あゆか?」

 突然にそんなことを始めるあたしに、不思議そうに声をかけてくる。

「え?」

 はっとしたように向き直るあたしを見て、和秋の顔色が変わった。

「あゆか、おまえ顔色悪いぞ?」

 あたしを心配するように、声の調子も変わる。

「え? あはは……へーき、へーき」

「そんなわけねえだろう」

 笑って誤魔化そうとしたけれども、今度は通じなかった。和秋は少し強い調子で言ってから、
あたしの前に背中を向けてしゃがみこんだ。
 戸惑うあたしに、

「おぶってってやるよ」

「え? い、いいよ」

「無理すんなよ。すげー具合悪そうだぞ?」

「そ、そう? でも……誰かに見られたら恥ずかしいですよ」

「いいから、早くしろよ!」

 更に強い声で言われて、あたしは思わず肩を震わせた。

「……そ、それじゃあ」

 こわごわと、その背中に身体を預ける。ずっと細くて頼りないと思っていた背中は、予想を裏切って頼もしかった。

「じゃ、行くぜ」

 あたしを背負って立ち上がる和秋。あたしひとりくらい、軽々と。

 
 茜色に染まる世界で――
 ためらいがちに、問いかける。

 
「お、重くない?」

「つーか、軽い。俺だって男だ。女の子のひとりくらい背負えるぜ」

 歩き出す足元も、しっかりとしていた。
 ばくばく脈打つ心臓の音。その鼓動が、和秋に届かないか気が気でなかった。けれど、それは杞憂に終わるみたいだった。
 それにしても、

(……女の子、か)
 

 卑怯だよ。
 ほんの少し、目頭が熱くなる。少し……だけ。本当に、少しだけだったけれど。
 あたしの望むような意味ではそう言ってはくれないのに、こういう時はしっかりと女の子扱いをするんだ。

 
 その優しさがとても嬉しくて。どうしようもなく、嬉しくて。
 だけど、とても哀しくて。どうしようもなく、切なくて。
 そのふたつの気持ちで、胸が締め付けられるから。
 頭の中もいっぱいになってしまったから。
 
 だから、もう忘れている。
 先ほど感じた違和感も、頭によぎったざわめきも。何かがずれている、そんな感覚も、 
 
 
 ――あたしは、忘れていたのです。